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切り札・中村俊輔が抱えた不安
サッカー日本代表のMF中村俊輔(29)=セルティック=が、大きなハンデを抱えたまま6月のワールドカップ・アジア3次予選の4連戦に臨む。岡田武史監督(51)の就任後で初めて日本代表に招集された中村俊は、リーグ優勝を果たしての帰国から一夜明けた25日に埼玉県内で行われたチームの練習に合流したが、控え組が出場した国士舘大学との練習試合には出場せずに別メニューで調整。練習終了後に左足の太もも裏に違和感があることを明らかにした。
中村俊 セルティックの最終戦の4日ぐらい前かな。セルティックパークで90分の紅白戦をやったときにちょっと違和感があった。そのまま試合に出たんだけど、ナイターだったから家に帰ったのが3時か4時で。(日本への)フライトが8時か9時だったから寝る間もないし、筋肉をほぐしている場合でもないし。そのまま飛行機に飛び乗って、昨日ちょっとほぐしたんだけど。
22日に行われたダンディ・ユナイテッドとの今季最終戦には、セルティックのリーグ3連覇がかかっていた。チームに欠かせない司令塔として強行出場した中村俊だったが、0対0で迎えた後半17分にベンチに退いている。最終戦を前に勝ち点86で並んでいたレンジャーズがリードを許す一報が入っていたが、何が起こるかわからないのがサッカーだ。勝利が求められる状況下で同点のまま途中交代した背景には、大事を取らざるを得ない非常事態が中村俊の体に起こっていたと考えていいだろう。
07‐08年シーズンは左ひざの負傷で約2か月におよぶ長期離脱を強いられたこともあった。一時はレンジャーズに勝ち点で7差をつけられた時期もあったが、中村俊の復帰後は15勝1分け2敗と猛チャージ。最後は怒濤の7連勝で奇跡の逆転優勝を勝ち取ったが、その間、全試合に出場してきた中村俊の体にも大きな負担がかかり、悲鳴を上げかけていた。
中村俊 筋肉の疲労だったら、逆に今日は(練習を)やった方がいいと思うけど、そういう張りとはちょっと...そんな状態で今日やっても、体はほぐれるかもしれないけど、リスクが高いから。トレーナーと話して(別メニューを)決めた。別に90分やれないわけじゃないし、足が壊れているわけでもない。この間のゲームもこの状態でやっているけど、最初にそれ(左足)でつまづいたらまずいから。ここで壊れたら元も子もない。
中村俊の左足に発生した違和感は、岡田監督の青写真をも大きく狂わせた。敵地で行われた3月のバーレーンとのワールドカップ・アジア3次予選でも、当初は中村俊を招集する予定だった。セルティックの試合スケジュールとの関係で断念したが、結果は攻撃の形をまったく作れないまま0対1とまさかの敗戦。コートジボワールとパラグアイを迎え撃つキリンカップに満を持して中村俊を招集した今月15日の会見では、「技術やキックは非常に素晴らしいものがある」と常にビデオでセルティックの試合をチェックしてきたことを明らかにし、「代表に入ってどのぐらい機能するのか見たい」と熱いラブコールを送っていた。
違和感が悪化して肉離れを起こせば、長期離脱を余儀なくされる。岡田監督が期待していた一人、20歳のDF安田理大をコートジボワール戦前日の23日に所属するガンバ大阪に帰還させたのも、左足の太もも裏に軽い肉離れを起こしたからだった。練習終了後、中村俊が報道陣に囲まれるすぐ横を急ぎ足で通り過ぎた指揮官は、国士舘大学との練習試合について「俊輔のために組んだところもある」と困惑の表情を浮かべて帰りのタクシーに乗り込んだ。27日のパラグアイ戦を欠場することになれば、他のメンバーとの連携を確認することなく、ぶっつけ本番で6月2日に日産スタジアムで行われるオマーンとの大一番に臨むことになる。もちろん、違和感を抱えた左足にGOサインが出る、という条件が付くことは言うまでもない。
中村俊 今度の90分(27日のパラグアイ戦)よりも今日の練習の方が怖かった。1シーズンを終えた後で疲れていないわけではない。だからといって、手を抜くわけでもない。個人のプレーを出したり、アピールすることもあるけど、そればかりをやると代表チームというものはバラバラになってしまう。個人だけじゃ何もできないし、強い国には勝てない。全員が同じイマジネーションを共有できるかどうか、が大事。もう1敗しているので、後がないという危機感を持って臨みたい。外国でやっている分、(一緒にできる)時間がないので、できるだけチームのコンセプトに沿ったプレーをしたい。
練習出発前のホテルでは、岡田監督と「お久しぶりです」と挨拶を交わした。日本代表が初めてワールドカップに臨んだ98年のフランス大会。その出場を決めた後で初めて行われた98年2月の強化合宿で、当時は横浜マリノスに入団して1年目だった19歳の中村俊は岡田監督から代表候補に大抜擢された。最終的にはけがで離脱したが、「夢のまた夢だった」というA代表の中でプレーした時間は中村俊をその後に大きく飛躍させる糧となっている。
中村俊 岡田監督からは『19歳のときとは立場が違うな』と言われた。あのときはチャンスをくれたと思っている。そのチャンスを生かしているかどうかはわからないけど、ここまで来ることができた。また一緒にやれる機会ができてよかった。
岡田監督からは日本代表が1対0で勝利した24日のコートジボワール戦を引き合いに出されがらチームコンセプトの説明を受けたという。「細かいところとかをけっこう...こういうのって(報道陣に)言っちゃいけないのかな。じゃあ、やめておこう」と苦笑いで質問をかわしたが、指揮官の大きな期待はもちろん感じている。6月24日には30歳となり、攻撃陣では最年長となる自覚もある。何よりも、悔しい思いだけで終わったワールドカップ・ドイツ大会のリベンジは同じワールドカップの舞台でしか、2010年の南アフリカ大会でしか果たせないことは中村俊自身がわかっている。
中村俊 (パラグアイ戦は)行けると思うし、やりたいし、やっておきたい。
日本代表への誇りと責任感から、多少の違和感や痛みがあっても中村俊は6月決戦への唯一のテストマッチとなるパラグアイ戦の強行出場を直訴するだろう。6試合を戦うアジア3次予選では、4か国中で上位2位までが9月開幕のアジア最終予選に進出できる。バーレーンに苦杯をなめた日本代表は現時点で1勝1敗の2位に後退し、同じ勝ち点でオマーンに並ばれている。もはや一敗も許されない断崖絶壁に追い込まれた岡田ジャパン。その切り札となる黄金のレフティーに故障離脱と背中合わせの不安が生じたまま、運命の6月が刻一刻と近づいてくる。 (文・藤江直人)
2008年5月26日 00:45|記事URL|コメント(0)|トラックバック(0)
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