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「リスクを冒す」意識が岡田ジャパンを変えた

[ワールドカップ・アジア3次予選/日本代表 3対0 オマーン代表@日産スタジアム]


 なぜか最前線に背番号4がいた。前半22分。ハーフラインよりわずかに自陣に入ったところでボールを受けたMF中村俊輔が、迷うことなく左足を振り抜いた。美しい弧を描いたロングパスの標的は、相手のペナルティーエリア内へ突進していたDF田中マルクス闘莉王だった。
中村俊 別に約束事でも何でもないよ。ちらっと見たら闘莉王が上がっているのが見えたから。使わないともったいないと思った。
闘莉王 あの場面は行けると思ったから(前線へ)行った。何か結果を残さなければいけない、と思っていたから。上がったのは、あの一回だけだったけど。
 慌ててDFイサム・ファヤルがマークについたが、タイミングを見計らってジャンプした1m85の闘莉王に完全に制空権を握られる。頭で落とされたボールに詰め寄るFW大久保嘉人はノーマーク。右足から放たれたシュートがゴール左に突き刺さり、日本のリードが2点に広がった瞬間、早々と試合の大勢が決した。
 闘莉王はCKなどのセットプレーで攻め上がった後に前線に残っていたわけではない。一連の流れの中で2人いるセンターバックの1人が攻撃参加するという究極の「リスク」を、自らの意思で冒したのだ。意表を突く選択がオマーンの守備陣を混乱に陥れた一方で、闘莉王の意図を感じた大久保もゴールの匂いを嗅ぎ取っていた。
中村俊 ちょっとボールが長いかな、と思ったけど、あれをヘディングで落とすとはさすがだね。大久保も含めて、3人が連動していたからこそ生まれたゴールだと思う。


 2試合を終えたワールドカップ・アジア3次予選のグループ2で連勝スタートしたバーレーンを追い、1勝1敗の勝ち点3で並ぶ日本とオマーンの激突。9月に開幕する最終予選に進出できるのは上位2か国。3月に敵地でバーレーンに黒星を喫した日本にとって、負けはもちろん引き分けも許されない大一番。勝利へのキーワードは「リスクを冒す」だった。試合開始前。キャプテンを務めるDF中澤佑二はチームメートにこんな声をかけている。
「ホームなんだからリスクを冒して点を取りに行こう」
 開始10分。スタメンの11人では最年少となる21歳の左サイドバック長友佑都が小気味いいオーバーラップを仕掛ける。
長友 松井さんがボールを持ったらパスが出てくるのはわかっていたから。あとは(攻め上がる)タイミングの問題でした。
 MF松井大輔から長友へのスルーパスは相手DFが必死にゴールラインに逃れたが、それで得た左CKから中澤が強烈なボンバーヘッドを一閃。試合の主導権を握る上でどうしてもほしかった先制点を、絶好の時間帯で奪うことに成功した。 
長友 ゴールにつながったことで、あの場面ではいい仕事ができたと思う。リスクを冒して前からどんどん行こう、と全員で確認していたので。
 オマーン戦の前哨戦と位置付けられた5月27日のパラグアイとのキリンカップ最終戦。90分間を通じて70%近いボールポゼッションを記録した日本だったが、パスをつなぐだけで相手に脅威を与える攻撃を仕掛けることができない。消化不良のスコアレスドローに終わった理由は明白だった。虎穴にいらずんば虎子を得ず。岡田武史監督は「リスクを冒す」ための方策を、MF遠藤保仁のポジションに求めた。


 キックオフ開始まで30分を切った段階でようやく発表されたオマーン戦のスターティング・メンバー。そこには遠藤と長谷部誠、松井大輔、中村俊の4人のMFが記されていた。パラグアイ戦で先発した今野泰幸、山瀬功治、中村憲剛はサブとなり、イビチャ・オシム前監督時代からほとんどの試合でピッチに立ち、中盤の守備を仕切ってきた鈴木啓太はベンチからも外れた。
 指揮官は大久保もFWではなく2列目のポジションに配置させ、玉田圭司をワントップとする4‐2‐3‐1の基本布陣だったことを明かした上で、所属するガンバ大阪では2列目を務める遠藤をボランチに下げた理由をこう語っている。
岡田監督 俊輔と遠藤が(2列目で)並ぶとどうしてもパスが前線に出ないことが多いので、松井や(大久保)嘉人といった(前線に飛び出す)タイプの選手が中盤にほしかった。なおかつ、今日はどうしても点を取らないといけない試合だったので、ビルドアップのところで最終ラインからパスを受けて前へつなげる選手がどうしてもほしい。両方のことを考えたとき、守備面のリスクを冒してでも今回はこの組み合わせでいこうと考えました。
遠藤 僕はもともとボランチの選手なのでしっくりきた。ほとんどフリーでボールを持てたからね。ボールをさばいて試合をコントロールするのは自分の持ち味だし、長谷部も前へ、前へと自然と出ていけた。長谷部とボランチのコンビを組んだのは初めてだけど、それにしてはうまくいった。どちらかというと守備が苦手な2人なんだけどね。
 遠藤が中盤の底でバランスを取り、4人のMFと玉田がめまぐるしくポジションをチェンジさせながら敵陣に迫る。連日のように行われてきた非公開練習で、情報漏れを防ぐために百万円単位の費用を投じて周囲を青いシートで覆った中で何度も試してきた布陣だった。
 パスを回す攻撃スタイルはパラグアイ戦と変わらないが、DFの攻撃参加を含めて相手が嫌がること、脅威に感じることが徹底して繰り返された。後半開始直後には、長友と松井のコンビネーションで左サイドを崩し、松井のセンタリングを受けた中村俊が珍しい右足での一撃で3点目をゲット。ゴールを奪いにいくんだ、という意思が明確に示された指揮官のさい配に選手たちも見事にこたえた。
 当然のように、試合後の会見では流動的だった攻撃陣のポジションについてチームのコンセプトなのか、それとも選手個々のアイデアなのか、という質問が飛んだ。
岡田監督 その両方だと思います。チームのコンセプトはシンプルにボールを動かすために足を止めないことと、パスをして動くということ。言ってできるなら簡単なんですけど、選手たちは自分たちのアイデアの中でやってくれたと思います。


 岡田体制下ではベストと言える試合内容だったが、対峙したオマーンが中途半端に「リスクを冒した」ことも見逃してはいけない。
 オマーンは5‐4‐1の守備重視の布陣からカウンターを狙うスタイルが伝統的で、04年にはジーコ監督率いる日本と3度対戦。一度も勝てなかったものの、すべて0対1と接戦を演じている。しかし、試合後の会見で元ウルグアイ代表選手のフリオ・リバス監督は出場停止やけがで5人の主力を欠いたことを明らかにした上で、このように語っている。
「こういう結果になったが、我々はオフェンシブに戦いたかった。最初の失点はセットプレーだったので、それを気にすることなく、その後もプレスをかけて攻撃的なサッカーをやろうとした。しかし、経験が不足している選手たちは浮き足立ち、冷静にプレーすることができなかった。そこがオマーンのマイナス面だったと思う。自分たち本来のリズムを保つことができなかった」
 就任間もないリバス監督の指導のもと、この試合が初代表となる3人を含む11人は積極的にラインを押し上げ、最終ラインからのロングボールではなくパスをつないで日本ゴールを狙ってきた。これが日本にとってはおあつらえ向きだった。
中村俊 イーブンの状態になったボールを1人目が詰めて、周りの何人かではさんで、こぼれ球をスライディングして奪うところが出たのはよかった。ボールを取られてもすぐチェックにいっていたし、戦う姿勢や激しさを出した上で選手個々のアイデアを発揮できたと思う。
 オマーンの選手がボールをもてば、瞬く間に青い波に飲み込まれる場面がビデオのように繰り返された。ファウルを厭わない激しいチェック。それも単発で終わらず、組織的に二の矢、三の矢を繰り出される。ボールを奪えば、欧州組の技術と戦術眼を軸に攻撃を組み立てる。3月にバーレーンに苦杯をなめた直後に「これからは俺のやり方で好きにやらせてもらう」とオレ流を宣言した岡田監督が新たに掲げたコンセプトは、ある程度攻めてくる相手に対しては「リスクを冒す」ことを触媒としてピッチの上で明確な形を形成しつつある。
 特に守備陣に主力を欠いたことで「攻撃は最大の防御」とばかりに、半ば開き直ったように前へ出てきたオマーンとは対照的に、日本は状況を的確に判断し、臨機応変に「リスク」を冒した。明暗を分けた両者の差は中村俊、松井、長谷部の欧州組の存在を抜きには語れない。オマーンのリバス監督は「我々はまだプロとしての歴史が浅い」と技術と経験を兼ね備える選手の不在を嘆いたが、日本の欧州組にしてもスマートなプレーだけに終始していたわけではない。中村俊や松井にしても泥臭く、ひたむきにスライディングタックルを繰り返した。それは、かつては見られなかった光景でもあった。
岡田監督 立ち上がりからボール際でプレッシャーを掛け、ファイトしてくれたのでリズムがつかめ、いいタイミングで点が取れた。チーム一丸となって、勝つために戦ってくれた選手に感謝しています。
 あとはバーレーンやパラグアイのように引いて守り、プレスの網にかからない相手をどのように崩すか。あるいは、7日にオマーンとのアウエー戦が行われるマスカットのような高温の地においても、この日のように激しい守備を連続して仕掛ける戦い方ができるのか。負ければ自身の進退問題に発展することが必至だったオマーン戦を乗り越え、闘莉王の言葉を借りれば「大きな光が見えた」となる中で、今後は岡田監督の「引き出し」の多さが問われることになる。


 オマーン戦へ向けて横浜市内のホテルを出発する直前に、日本サッカー協会元会長の長沼健氏の突然の訃報が届いた。
岡田監督 高校生のときから(長沼)健さんの『チームプレー』という本を読んでいろいろ勉強させてもらったことから始まり、やはりカザフスタンで(97年のワールドカップ・アジア最終予選中に加茂周監督が更迭されて)自分が監督になるときに、(会長だった)健さん自らが盾になるように前面に出られて処理されたこと。そのことが一番印象に残っています。
 会見のひな壇で岡田監督は一度も笑顔を見せなかった。病床で最後まで日本代表のことを気にかけていたという長沼さんの熱い思いには、チームを2年後のワールドカップ・南アフリカ大会に導いたときに初めてこたえることができる。選手たちには試合前のアップ時に、小野剛技術委員長を通じて訃報が伝えられた。その際には「いつものように気持ちを入れてやろう」という指揮官のメッセージも添えられている。
岡田監督 我々はまだ何も得ていない。それに、今日のオマーンは本物ではないとも思っています。7日のアウエーでの試合でも今日のようなイージーな試合になると思ったら大間違いです。
 6月2日は運命的な日でもあった。日本が初めて臨むワールドカップの舞台に立つ23人の中から「外れるのはカズ」とFW三浦知良(現横浜FC)の名前を読み上げたのがちょうど10年前。あのときと同じように岡田監督は勝利だけにこだわり、自らの強い意思とともにリスクを冒し、その意図が選手にも伝わり、快勝という結果を導いた。
 オシム前監督が脳こうそくで倒れるアクシデントを受け、電撃的に日本代表監督に復帰してから半年。指揮官は会見の最後に、試行錯誤を繰り返してきたなかでようやく手応えをつかんだことを明らかにした。もちろん、抑揚のない淡々とした口調で、表情をほとんど変えないまま。
岡田監督 (この勝利で)山を越えたとは思わないですけど、第一歩目を踏み出せたとは思っています。                                (文=藤江直人)

2008年6月 3日 06:02|記事URLコメント(0)トラックバック(0)

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