Home > 本日の論! > ラジャダムナンの涙 辰吉5年ぶりの復帰

ラジャダムナンの涙 辰吉5年ぶりの復帰

 入場テーマ曲「死亡遊戯」は流れなかった。

第2試合のムエタイの試合が終わると、すぐさま入れ替わりで辰吉丈一郎が赤コーナーの階段を上がる。上半身にガウンはない。青白い身体。真っ白なトランクスには、JOEの文字。「俺が一人で決めたこと。こんな海外に家族を連れてくるわけにはいかない」。そんな決意が、家族のアルファベットをトランクスから外させていた。

 辰吉コールが、円柱形のラジャダムナンスタジアムに響く。500席ほどのリングサイドは、すべて日本人で埋め尽くされた。

「ジャブをしっかりつけ、中途半端はあかんぞ」

 セコンドの声に辰吉はうなずいた。

 ゴングの音はカーンではなくキーンと聞こえた。 

辰吉は頭を左右にふりながら左に回り、左のジャブというより、ストレートに近い左を打ちながらプレッシャーをかける。緊張からか、手が少ない。上下のバランスもチグハグに見える。相手の左を外しながら前に出るのだが、外した後の一手が出ない。いつもの辰吉なら、反応して打ち込んでいるカウンターである。

5年の歳月は、天性のそういうものを鈍らせていた。右のフック、右のアッパーを合わせられた辰吉は、まともに食らってバランスを崩した。棒立ちとなって、ロープまで後ずさりした。けれど、20歳のパナンチャイに追い足はない。ゴング終了間際に、思い切り右を打ってきたが、辰吉は、それをヘッドスリップで外した。大物の復帰戦の相手を務めることになったタイ人にも力みがある。

 2ラウンドに入ると、硬さの取れた辰吉の左が多くなった。左を打って必ずステップと頭をふることを意識している。練習での反復が、そのまま出ているような動きだ。左のボディアッパーから角度をつけた左のアッパーと、パンチの出所と種類も多彩で、しかもパンチがコンパクトである。その左からメリハリをつけてワンツーの右ストレートをときおり強く打ち込むとパナンチャイは何度か顔をしかめた。「ラスト1分」のセコンドの声の直後だった。左アッパーが見事に顎を打ち抜き、パナンチャイはダウンした。

 すぐさま立ち上がったが、今後は、左のボディアッパーにバランスを失い二度目のダウン。格下に打たれた辰吉を励ますかのように打ち鳴らされていた辰吉コールは、もう勝利の瞬間を待ちわびるファンファーレのようなコールに変わっている。

ここでも辰吉はダウンを狙う大振りなパンチではなく、小さく小さくパンチをまとめて最後は、右のフックをなぎ倒すようにテンプルにぶちこむと、パナンチャイは、仰向けになってダウンした。辰吉は、勝利のパフォーマンスをすることもなく、敗者の元に駆け寄った。リングを降りた勝者をファンが、まるで暴徒のように追いかけて取り囲み、その人の輪の向こうに姿を見えなくなった。

 辰吉がベルトを奪われ、今は引退している元WBC世界バンタム級王者のウィラポン・ナコンルアンプロモーションが祝福に訪れ、辰吉は「おまえがいたからおれは勝てた」と言うと、元王者は「このまま状態を上げていけば、もう一度世界を狙えるボクサーになれると思う」という言葉を送った。

 5年ぶりの復帰リングをTKOで飾った辰吉は綺麗な顔をしていた。

辰吉だけにプロモーターの事務所が控え室として解放されていたが、勝者は首からタオルを下げて立ったままインタビューに答えていた。

「緊張したよ。5年ぶりやろ。16歳で岡山から大阪に出てきて21歳で世界王者。その5年と同じ時間よ。久しぶりというよりも、なんかデビュー戦に近いな。日本でやっていないや。タイでやっているからな。こっちのリングにも上がったことがなかったしな」

――自分の動きはどうだった? 反応や、スピード。

「動きがぶきっちょに見えたんやないかな。言い訳になるけれど、マットが違うんで、動けなくて、交わしにくかった。けど、パンチも見えていたし、相手の動きもわかった。でもボディにも耐えていたしタフやったな。あんな若い子を...罪悪感はあるよ」

――倒せそうとどのあたりで思いましたか?

「俺に倒せそうはない。常に倒す。試合前からKOしか考えてないよ。でもパンチがおおぶりにならんことだけ、無駄な動きをせんことだけを考えていたよ」

 インタビューの途中で電話が入った。日本で待機していたるみ夫人からだった。

辰吉は、「もう一回せなわからんわ」と受話器の向こうの人に答えていた。

「もう一回せなわからんわ」とは、自らの復活の座標が、世界の中のどこにあるかということである。

 辰吉は、現在、JBCのライセンスがない。タイのコミッションに試合中止を勧告してWBCもプロモーターに圧力をかけた。そういう逆風の中で行われた再起戦である。

「日本で嫌われているんでね。嫌われている以上、そうなるわな。好意的なとこでやるしかないやん。日本を愛しているし日本でやりたいけれど、背に腹は変えられない」

 独特の辰吉節で周囲を笑わせながら、そう言った。

「目安がないやん。とにかく橋をかけたかった。架け橋がつけば、次へつながる。今日は橋をかけることが大事でしょう? 橋をかけて、つないで、わたれるのかどうかは、その先にあることよ」

 所属先の大阪帝拳では、スパーリングの禁止され、おまけにライセンスが失効。最後の試合から5年以内にジムがライセンス申請を出さなかったため、国内で試合ができる可能性はゼロである。真っ暗闇の中で復帰という道を選んだ。辰吉は、そのスタートとなったラジャダムナンでのTKO勝利を『架け橋』という言葉で表現したが、ここまでの5年は、ただ絶望だけの暗闇を彷徨ってきたのである。

「足も痛めた。心も痛めた。頭も痛めた...。5年って長いよなあ。下の子6年生やもん。怖いわな」

この間、恩師である大阪帝拳、吉井清が亡くなり、義父が亡くなった。辰吉は、父・粂二さん、学んできた西原先生、大久保トレーナー、吉井元会長ら...故人の名前を出して「どう報告しようかな。天国で、お前の息子のおかげでえらいめにあったと、父ちゃんを囲んで飲んでいるんかもしれんね」と言って涙ぐんだ。

 だが、辰吉物語は、ここでハッピーエンドとはならないのである。辰吉が「緑のベルト」を最終ゴールとする限りにおいて、ここは、再スタートの場所でしかない。しかし、辰吉は、今後については、ちょっと微妙なコメントをした。

「試合がしたいんよ。今日は正直、いっぱいいっぱいやったから。もっと試合を楽しみたい。20年もボクシングやっていて20何戦しかしてないっておかしいやろ?」

 試合後、今回の興行を実現したタイの有力プロモーターのアンモー氏は辰吉のラジャダムナンでのランキング入りを約束した。彼は「ディフェンスの課題さえ克服すれば世界タイトル挑戦の可能はあるしバックアップする」ことまでを断言した。

 しかし、関係者の中では「辰吉の次」に懐疑的な意見をもち、辰吉にハッキリと伝えた人物もいる。世界戦を目指すには、次はもうワンランク上の選手、そして、その次にタイ国チャンプ、その次に世界ランカー。そして、その次が世界戦...と順序を踏むとなると、あと4試合は必要になる。では、辰吉は、そのとき、いったい何歳になっているのか?と。では、それが実現できる計画になのか。考え直せという意見である。

 年齢に応じたイメージチェンジは果たしているが、全盛期の辰吉なら、一発で終わっていただろうと思えるシーンが何度もあった。そのギャップをどう埋めるか。そして迫りくるアスリートとしての限界年齢。筆者は辰吉がダウンを奪った瞬間、不覚にも目頭が熱くなったが、そういうことを考えると泣いている場合ではないのである。

 本当のハッピーエンドとは何か。

最終決断は辰吉自身が下すことである。

                         (文責・本郷陽一)

 


2008年10月28日 21:33|記事URLコメント(0)トラックバック(0)

トラックバック(0)

この記事のトラックバックURL: http://sv62.wadax.ne.jp/~sports-times-jp/mt/mt-tb.cgi/261

コメント(0)

コメントを書く