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日本サッカー協会トップが描く壮大な構想 by 藤江直人
「論スポ」次号の取材で、日本サッカー協会の犬飼基昭会長のインタビューを14日に東京・本郷のJFAハウスで行った。
川淵三郎キャプテン(現名誉会長)からバトンを受け継ぎ、第11代会長に就任したのが昨年7月。前任者は3期6年の会長在職期間中に日本サッカー協会を年間最大で約216億円もの収入(2004年度)を得る巨大な組織に成長させ、一方では2006年W杯ドイツ大会の総括会見で後任の代表監督として当時交渉中だったイビチャ・オシム氏の名前をうっかり明かしてしまうなど、良しにつけ悪しきにつけ、その発言が常に注目される存在だった。
ならば、犬飼会長はどうだろうか。
浦和高、慶応大とサッカー部で活躍。1965年には三菱重工業に入社し、その年から始まった日本リーグに選手として出場。27試合、4ゴールの成績を残して1968年に引退すると、その2年後には三菱自動車に転籍。海外本部欧州部長、欧州三菱自動車社長などを歴任し、02年に浦和レッズ社長に。4年の間にチームをアジアを代表するビッグクラブに育て上げた。
日本サッカー協会副会長からの昇格が半ば規定路線となってきた会長職にあって、犬飼氏の経歴はまさに異色と言っていい。しかし、就任から約9か月。浦和レッズを改革してきた手腕ではなく、どちらかと言うとネガティブな存在としてその名前がメディアに登場してきた。
例えばナビスコ杯の「U-23化」を巡ってJリーグの鬼武健二チェアマンと繰り広げた異例の舌戦。ユース年代におけるバックパスの禁止プランや天皇杯を主力抜きで戦って敗退したチームへの制裁発言。そして、2010年からのJリーグの秋開幕・春閉幕への移行。特にJリーグを欧州と同じカレンダーとする秋春制の実現には非常に意欲的で、Jリーグ将来構想委員会が下した「移行の見送り」答申を差し戻し、ここでも現状維持派である鬼武チェアマンとの意見の相違がクローズアップされている。
ネット上における書き込みの内容も決して芳しいものではないが、犬飼会長は気に留める素振りはない。すべては壮大な構想を実現させるための第一歩なのだという。
「日本にスポーツ文化というものをどうやって根付かせるか。限られた任期の中で徹底的にやっていきたい」
具体的に言えば、浦和レッズ社長時代の2005年に創設した「レッズランド」がモデルケースになるという。さいたま市桜区内にある「レッズランド」は、将来的には東京ドーム3個分の敷地の中にサッカー場3面、フットサル場8面、テニスコート9面、野球場とラグビー場が1面ずつ、さらにはキャンプ場を兼ね備えた総合スポーツクラブとする設計図が描かれている。
特に西欧諸国によく見られ、いずれも地域のスポーツ文化の担い手となっている。犬飼会長自身、三菱自動車時代の海外本部欧州部長や欧州三菱自動車社長を歴任した当時に住んでいたオランダ・アムステルダムで、名門アヤックスが経営するスポーツクラブに「大いなる感銘を受けたのが原型になっている」という。
「競技団体の中でスポーツ文化を根付かせることに一番挑戦しているのがサッカー。ただ、浦和レッズの社長では、47都道府県のサッカー協会を相手に自分たちの考えを示し、一緒にやろうと呼びかけることはできない。やらなきゃ日本がダメになる。使命感でいっぱいです」
そして、構想を具現化していく上で日本代表チームが果たす役割は非常に大きいという。その役割とはいったい何なのか。地域にスポーツ文化を根付かせることと、岡田ジャパンが出場権獲得にリーチをかけている来年のW杯南アフリカ大会はどうリンクしてくるのか。
鬼武チェアマンとの舌戦などもあって「強面」の印象が強かった犬飼会長が終始穏やかな口調で、サッカー界、そして日本のスポーツ界の未来を語った約70分間。その中には日本代表を率いる岡田武史監督への注文も含まれている。協会トップの熱い胸中は、6月中旬発売予定の「論スポ」次号で詳報します。(文=藤江直人/写真=スエイシナオヨシ)
2009年4月15日 04:46|記事URL|コメント(0)|トラックバック(0)
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