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湘南ベルマーレを救った反骨男・田原豊の魂の一撃 by 藤江直人
■J2第46節
湘南ベルマーレ(勝ち点90) 1‐0 サガン鳥栖(勝ち点80)
[10月21日午後7時キックオフ@平塚競技場/観衆8216人]
湘南ベルマーレの眞壁潔社長は、愛してやまないチームをあえて「反骨集団」と呼んでいる。
「北京五輪で3連敗を喫した監督が指揮を執っているし、横浜F・マリノスを飛び出した元社長が常務に就いているチームだからね(笑)」
ピッチの中を見渡しても、30歳を超えていまだにJ1でのプレー経験がないチーム最古参、MF坂本紘司が自身初の2けた得点をマークしてチームをけん引。昨シーズン限りでアルビレックス新潟から戦力外通告を受けた29歳のGK野澤洋輔、35歳のMF寺川能人も、若手が多いチームに貴重な経験を伝えている。
その中で誰よりも反骨魂をたぎらせてきた男がチームの危機を救った。
J1昇格の可能性を残す5位で必死に追走してくるサガン鳥栖をホームに迎えた大一番。両軍ともに無得点で迎えた後半ロスタイムだった。FWアジェルのスルーパスに抜け出したFW田原豊が左足を一閃。ブロックにきた相手DFに当たってコースをかえたボールは、再三の好守を見せてきた鳥栖GK室拓哉のグローブをかすめてゴールネット右に吸い込まれていった。
「魂のゴールというか......気持ちを込めて打ちました」
試合前の時点で3位だったヴァンフォーレ甲府が東京ヴェルディにリードを許している、という一報はベンチで指揮を執る反町康治監督のもとに入っていた。この試合を含めて残り6戦。勝てばJ1へ自動的に昇格できる3位に浮上する千載一遇のチャンスで、開幕直前にエースの座を託された27歳が大仕事をやってのけたのだ。
各スポーツ新聞が発行している選手名鑑に田原の名前はない。背番号もエースストライカーとは縁もゆかりもない「34」。開幕からしばらくの間は湘南で最も大きな番号だった。
昨シーズン限りで02年から在籍していた京都サンガから戦力外通告を受けた。鹿児島実業高から「超大型FW」として期待を背負って横浜F・マリノスに入団したのが01年。1m87、84kgと日本人離れしたボディを誇り、中学時代には大相撲からスカウトされたこともある逸材は、実は大の練習嫌い。天性の素質だけでプレーしてきた少年にプロの壁は厚かった。
シーズン始動の練習の開始5分でリタイアしたのはいまや逸話。2年目には早々に京都へ放出されたが、新天地でも時に目の覚めるようなスーパーゴールを決める一方で好不調の波が激しく、潜在能力を開花させることができない。大のパチスロ好きとして知られ、私生活にも影響を与えているという悪しき噂もマイナスに作用したかもしれない。
24試合に出場して5ゴールに終わった昨シーズン。京都はモンテディオ山形に期限付き移籍させていた北京五輪代表のFW豊田陽平を復帰させることを決定。「あっ、クビだな」と思った田原だったが、将来に関しては何ら悲観していなかったという。
「すぐに他のチームから話があると思っていましたから」
しかし、連絡はいっさいなし。慌てて12月のJリーグ合同トライアウトを受けても状況は変わらない。韓国Kリーグ、オーストラリアのAリーグのクラブの練習にも参加したが不合格。3月7日の開幕が近づいても何ひとつ決まらない状況に、田原は初めて自身への評価を知った。
「オレって本当に嫌われているんだな、と」
開幕を控えた湘南は、負傷が癒えないFWトゥットに代わるFWの柱を探していた。そうしたニーズもあって、田原は藁をもすがる思いで湘南の練習に参加。開幕数日前に非公開で行われた東京ヴェルディとの練習試合で豪快なゴールを叩き込んだ。
この瞬間、経理を担当する役員が眞壁社長を振り向いて叫んだという。
「ぜひ獲りましょう。私が(年俸を)払います!」
実は野澤と寺川を獲得していたチームの予算はほとんど残っていなかった。眞壁社長は反町監督の意向を聞いた上で最終判断を下すことにした。
「予算はもうぎりぎりだけど、それは関係なく、イエスかノーで言ってくれ」
返ってきた言葉は「イエス」だった。もちろん、年俸は京都時代から大幅に下がる。眞壁社長は今度は田原に確認した。
「今年の税金が払えない額だけど。貯金はあるのか」
うなづく田原にさらにこう伝えた。
「ウチは反骨の集まりだ。1年ウチでプレーして、来年にJ1に戻るのはどうだ」
この時、田原の腹は決まった。
「お世話になります」
現時点でゴール数は8と物足りないかもしれない。しかし、3トップの中央に陣取り、堅実なポストプレーでボールを収め、攻撃の起点となり、坂本やチーム最多の13ゴールと急成長した23歳のFW中村祐也のゴールをお膳立てする存在はすぐにチームに不可欠となった。
湘南の快進撃が続いた中盤以降は、各チームとも「田原を潰せ」を合言葉に、クサビのボールが入った瞬間に2人がかりで反則まがいのチェックを仕掛けるようになった。大事な夏場に6週間も戦列を離れたのは、悪質なタックルでひざを痛めたからだった。
昨晩の鳥栖戦も何度ピッチに転がされたことか。激痛で表情をゆがめ、主審にアピールしてもなぜか反則を取ってくれない。それでも歯を食いしばって立ち上がるたびに、サポーターから熱い拍手と声援が降り注いだ。それが田原のエネルギーにもなっている。
「腰は......痛いっすよ。でも、その中で仕事をしていかないといけない」
実は反町監督のもとには、京都からある情報が届いていた。
「田原は夏場になるとまったく動けなくなりますから」
その夏場に負傷し、スタンドから湘南のサッカーをあらためて確認できたのは、いまとなっては不幸中の幸いだった。
「自分は何をすべきか、何をしたらいいのかがわかったし、それをピッチで表現しています」
その姿に反町監督も目を細める。
「走れない、最後は動けないという情報を覆すようないい動きをしていたよね」
J1とJ2の昇格・降格制度が設けられた1999年に不名誉な第1号降格チームとなって以来、J2の舞台に甘んじること10年。年間51試合を戦う異例の長丁場リーグも、泣いても笑っても残り5試合。チーム悲願のJ1復帰がついに手の届くところまで迫ってきた。
田原は「恩返し」や「感謝」という言葉を使おうとしないが、それでも自らを拾ってくれたチームへの熱い思いは短い言葉からひしひしと伝わってくる。
「このチームに少しでも貢献していきたい。まだ優勝のチャンスもあるし、可能性がある限りは上を目指していきたい」
サッカーができなくなる寸前のどん底からはい上がってきた「未完の大器」を先頭に、反骨集団が満願成就へのラストスパートに入る。
2009年10月22日 16:14|記事URL|コメント(0)|トラックバック(0)
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