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祝・J1昇格決定!/湘南ベルマーレを支えた10年間の思い  by 藤江直人

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■J2第51節
湘南ベルマーレ(勝ち点98) 3‐2 水戸ホーリーホック(勝ち点73)
[12月5日午後12時30分キックオフ@ケーズデンキスタジアム水戸/観衆5500人]
※湘南ベルマーレの11シーズンぶりのJ1復帰が決定


 左足から放たれたクロスには10年分の思いが込められていた。
 2対2で迎えた後半8分。右サイドでパスを受けたMF坂本紘司の視界には、FW田原豊が3人のマークを引きつけて潰れた後方のファーサイドでフリーだったFW阿部吉朗をはっきりと捉えていた。
 正確無比なクロスの軌道はダイブする阿部の頭と完璧にシンクロする。バス7台で応援にかけつけたベルマーレサポーターがゴール裏のスタンドに陣取る目の前で生まれた起死回生の一発。2点のビハインドをはねかえす奇跡の逆転劇に、在籍10年目、チーム最古参となる坂本の脳裏には1年間の思い出が駆け巡っていた。
「今年のベルマーレのよさは最後まで絶対にあきらめずに、足も止めずに頑張ること。だから、2点差になっても返せる気持ちはありました。最後までもつれたけど、J1に上がることを常に念頭に置いて日々やってきましたから」
 今シーズンだけで後半ロスタイムに叩き込んだゴールが10発。逆境にも決してくじけず、むしろ強さが増幅されるメンタリティーに導かれた「湘南劇場」が、勝てば自動的に11年ぶりのJ1昇格が決まり、負けか引き分けではヴァンフォーレ甲府に逆転されるおそれがあった、まさに生きるか死ぬかの最終戦でも再現された。


 坂本の10年は湘南ベルマーレの苦闘の歴史と奇遇なまでに一致する。
 J1とJ2との入れ替え制が初めて実施された1999年。不名誉な降格第1号となったのが当時のベルマーレ平塚だった。98年のフランスW杯に4人の中田英寿、洪明甫ら日韓代表選手を送り込んだチームは、親会社だったフジタ工業が経営から撤退したのを機に一気に低迷。経営難から主力を次々と放出せざるを得ず、94年の昇格直後から頂戴した「湘南の暴れん坊」なるニックネームが見る影もなくなるほどチームは縮小した。
 その99年オフ。チームの呼称を現在の湘南ベルマーレに変え、市民チームとして再出発するのと同時にジュビロ磐田から移籍してきたのが坂本だった。
 日本代表MF中村俊輔と同じ1978年生まれ。静岡学園高時代は攻撃的MFで活躍し、3年時で出場した全国高校選手権では準決勝で俊輔を擁する桐光学園とPK戦にもつれ込む死闘を演じた。J1復帰への水先案内人として期待を背負っての加入だったが、時間の経過とともに掲げた目標は現実味を失っていく。
 チームとして目指す方向性、チームカラーがいっこうに定まらない。04年には1年間で3人も監督が交代し、迷走を続けた挙げ句に12チーム中で10位に沈んだ。
 ベルマーレは終わった。誰もがそう思った。


 当時を坂本はこう振り返る。
「移籍して最初の頃は監督も頻繁に代わって、その度にチームカラーも変わって、一貫性がなかったというか......ベルマーレってどういうチームなんだと聞かれても、ウチらしいサッカーをしようって言われても、正直、自分でもちょっと分からないような時期があったのは事実です。若い選手が多かったこともあって、いい試合をしても結果を出せない、最後は若さが出て負けてしまう、経験のなさが勝敗を分けてしまう、ということの繰り返しでした。J1昇格をなかなか想像できないようなシーズンもありました」
 風向きが変わったのはその04年の秋だった。
 なでしこジャパンをアテネ五輪に導き、旋風を巻き起こした上田栄治氏をシーズン3人目の監督として招へい。99年のJ2降格決定時もベルマーレの監督を務めていたチームOBの上田氏は、何よりもまずベルマーレの基礎を固めるべく必死に「種」をまき続けた。
 翌05年シーズン途中にバトンはベットコーチだった管野将晃氏に引き継がれるが、これも規定路線だった。眞壁潔社長はその意図をこう振り返る。
「上田が基礎を築き、管野がそれに上乗せをして、いまは反町が仕上げをしているんです」


 ヘッドコーチだった管野氏が監督に昇格したことで継続性が保たれ、その中で管野氏が特に目をかけてきた若手が成長。大宮アルディージャで活躍するFW石原直樹のように他チームへ引き抜かれるケースも増えてきた。
「確かにここ何シーズンかはずっと一貫性を持ってやってきて、それと同時にチームも上向きになり、結果も出てきているというのはありましたね」
 07年、08年と終盤まで昇格争いに絡んだことで、坂本も手応えを感じていた。チームOBの反町康治北京五輪代表監督が新たに就任して迎えた09年。GK野澤洋輔、MF寺川能人らJ1昇格を経験したベテランが加入し、「今年こそは」の期待が膨らんだ開幕前のキャンプで、坂本をはじめとするチーム全員の目からウロコが落ちる「出来事」があった。
「監督から『逃げの横パスではなくゴールを目指せ』と言われてから、タテへの思い切ったチャレンジやそれに連動した動きをチーム全体で目指すことを心掛けました。『サイドにゴールはない』『どこを目指してるの』『ゴールじゃないの』と言われて」
 慶応大卒で元全日空社員選手。どちらかと言うとインテリのイメージが強かった指揮官が求めたのは強いハートが込められたプレー。泥臭くてもいいから最後まで歯を喰いしばって頑張るサッカーができない選手は、容赦なくベンチから外された。
 システムも前線へよりプレッシャーをかけられる4‐3‐3に変更され、ボランチは田村雄三の1枚へ。2年前にボランチに転向したばかりの坂本は再び攻撃的MFに戻った。


 上田‐管野と継続されてきたチームカラーを尊重した上で、仕上げとして足りなかった最後の1ピースを埋める。反町監督が心掛けたのはよりアグレッシブにゴールを目指すこと。つまり「湘南の暴れん坊」を復活させることの一点だった。
「僕がJ1に昇格させたんじゃなくて、スタッフを含めたチーム全員の力で湘南が上がるんです」
 自らの手腕を問われると決まってこう返す45歳の指揮官は、こんなことを語ったことがある。 
「いままでと比べてベルマーレの選手はピッチで生き生きとしていますね、と言われることが何よりも嬉しいんですよ」
 開幕ダッシュに成功したのもつかの間、戦法を研究された夏場に4連敗を喫して首位から陥落。その後も波に乗れるようで乗れない状況が続き、最後はヴァンフォーレとの息詰まる一騎打ちになった中でも目指す方向と戦い方はぶれなかった。
 第2クールに入って失点が急増した時も施すのは微調整だけ。「選手は攻撃している方が楽しいんだよ」と守備の練習に時間を割くこともなかった。GK野澤洋輔は「前だけを向いたからこそ、チームとしてもあたふたすることがなかった」と感無量の表情で51試合を振り返った。
 貫かれたのは「攻撃は最大の防御なり」の精神。最終戦でも勝ち点1差で追走してくるヴァンフォーレの途中経過はいっさい選手に知らせず、ゴールを奪うこと、勝つことだけに集中させた。
 その中で坂本はチーム2位、自己最多の13ゴールをマーク。攻守両面でピッチを精力的に走り回ることで言葉では伝えきれない10年分の思いを表現し、「反町イズム」を実践した一人となった。


 坂本は3日に31歳の誕生日を迎えた。ジュビロ時代はリーグ戦の出場経験がない。Jリーグの歴史でもおよそ例のない、30歳を超えてのJ1デビューへ「たまには僕みたいな選手がいてもいいと思います」と照れ笑いを浮かべながらこう続ける。
「20歳代のほとんどをベルマーレで過ごして、本当に周りで支えてくれる人たちに成長させてもらったと思います。この10年は僕にとって本当に濃密な一年一年の重なりだったと思うし、30歳でまた違った自分を発見することができた。プレー面でも新たな可能性を感じることができました」
 悩み、苦しんだ10年があるからこそ未来がある。それはベルマーレの歩みも同じだ。眞壁社長は決意を新たにする。
「この10年間が我々のベースになる。この10年間の皆さまの支援にこたえるためにも、J1に上がることは我々の宿命だった。恥をかくことは何も怖くない。苦しい時ほど前に進んでいきたい」
 フジタ工業の撤退に伴い、チームの存続すらも危ぶまれた99年オフ。地元平塚市の政財界や市民がいっせいに立ち上がり、元平塚市長でチーム存続委員会の吉野稜威雄委員長は「借金が払えなくなったら踏み倒す手もあるから」と豪快なエールで背中を押してくれた。
 その時に感じたのは「ベルマーレが消滅するのはいやだ」という感情論ではなく、中田英寿らがいた90年代のドリームチームに「もう一度戻ってほしい」という夢だったという。
 J1というスタートラインにようやくたったいま、次の10年の目標はJ1で「暴れん坊旋風」を再現させることに集約される。


 言葉にするのは簡単だが、もちろん現状は甘くない。
 個々の選手のレベルアップ、選手層の薄さ。ベルマーレの改善すべき点を挙げたらきりがない。試合後には選手やスタッフの手で4回宙を舞った反町監督は、私情をいっさい抜きにしたゼロからのスタートを強調した。
「僕はJ1での経験もあるので、やはり大きな差があると言わざるを得ない。集団での戦いはできているけど、逆に個々ではまだまだしっかりプレーできてない。我々は貧乏クラブなので何とも言えませんが、ピンポイントにしっかり選手を補強してチームを強固なものにしていかないといけない。昇格したからといって功労者のような選手はできない。全員が競争して勝ちあがっていく。それがプロの世界ですから。そうした土壌づくりをやっていかないといけないと感じています」
 全盛期を極めた97‐99年のジュビロのサッカーを身をもって体験しているからこそ、坂本も指揮官の厳しい方針に思いをシンクロさせる。
「来シーズンは個々のレベルアップをしなければいけない。僕らはJ1で最下位から始まるということ。いまのまま上積みがなく、いままでと同じ準備をしていたらその差は縮まらない。それを自覚して、シーズンインからかなり厳しく取り組みたい」


 積み重ねてきた努力が報いられることを告げるホイッスルが敵地のピッチに鳴り響くと同時に、坂本のほおをふいに涙が伝った。
「自分では泣かない方だと思っていたんですけど......」 
 本人が驚くほどとめどもなく流れた涙には「長かった」という過去10年への感慨と、未来に待つ新たなる闘いへの決意が込められていた。
 さあ、J1の舞台へ。すでに天皇杯も敗退しているチームはJ2閉幕とともに今シーズンの公式戦の全日程を終えたが、2日間のオフを満喫しただけで8日から早くも練習を再開させる。


2009年12月 7日 08:54|記事URLコメント(0)トラックバック(0)

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