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タイマン上等!長友佑都が挑む一世一代の大勝負  by 藤江直人

タイマン上等!長友佑都が挑む一世一代の大勝負  by  藤江直人

 現在発売中の『論スポ』で、デンマーク代表のキャプテンを務めるFWヨン・ダール・トマソンのインタビュー取材を行った。その中でチームメートの特徴を紹介してもらう質問を投げかけたところ、FWデニス・ロンメダールについてこう語っている。
「陸上の短距離選手級の足の速さを誇るロンメダールは常に相手の裏を取ってくれるから、パスを出す側も楽しくて仕方がないんだ」
 19日のカメルーン戦で、トマソンの指摘が正しいことが証明された。


 前半33分のFWニクラス・ベントナーの同点ゴールをアシストしたクロス。自ら中央に切れ込んでから左足で叩き込んだ後半16分の逆転ゴール。いずれもロンメダールが自慢のスピードを生かし、右サイドを切り裂いてから生まれたものだ。
 いわばデンマークの攻撃の生命線。24日の日本戦でも3トップの右に位置するロンメダールがキーマンになってくる。当然、対峙する日本の左サイドバックの重要性も増す。長友佑都が繰り広げてきた「タイマン人生」でも最大級の闘いが、ルステンブルクのピッチで幕を開ける。


 相手が強いほどに、壁が高いほどに長友は闘志をたぎらせ、成長を続けてきた。
 その伝説には枚挙にいとまがないが、愛媛・西条北中学3年の春休みのひとコマはW杯戦士に成長した長友の原点を物語っているのではないだろうか。
 怪物と畏怖された家長昭博を擁するガンバ大阪ジュニアユースとの練習試合。同世代では群を抜く強さを誇るチームには当然のように手も足も出ない。愛媛に戻るフェリー。仲間たちが「やっぱりガンバってすげえ」と感激している中で、長友は号泣していた。


「アイツら、オレに対して本気でやってくれんかった。オレら遊ばれてた」
 負けたこと以上に、手を抜かれたこと、なめられたことが悔しくて仕方なかったのだ。
 ほどなくして、地元の新居浜工業高との練習試合が組まれた。元日本代表の福西崇史を輩出した名門校で、当然、長友にも勧誘の声がかかっていた。そのハーフタイム。長友はサッカー部顧問の井上博教諭に吐き捨てるようにこう訴えた。
「こんな感じで全国とか狙っとるのか。オレには伝わってこん。こんなもんか」


 迎えた高校進学。長友は迷うことなく親元を離れ、当時の高校サッカー界で最強の呼び声が高かった東福岡高校の門を叩いた。
 旅立ちの朝。感謝の思いを込めながら母校のグラウンドを一人で整備した長友は、抱きしめようとした井上の手を振りほどき、涙を見せまいと背を向け、大声で歩き始めたという。
「オレは絶対にビッグになるけん! 絶対にプロになるけん! 見てろっ!」
 女手ひとつで3人の子供を育ててくれた母へ一刻も早く恩返しがしたい、と長友は心の中で誓っていた。そして、プロになる夢は明治大学3年の冬に早々とかなえている。


 東福岡高校ではボランチを務め、全国高校選手権にも出場している長友だが、明治大学に入学して1年もたたないうちにサイドバックへの転向を命じられている。
 真っ先に長友の頭に浮かんだのは嫌悪感。実際に何度も拒否したが、これ以上拒めば退部になる、との思いで渋々受け入れたポジションが現在につながっている。
 3年進級を控えた07年春。FC東京との練習試合で右サイドバックを務めた長友は、対面のFWリチェーリと壮絶な「タイマン」を繰り広げる。


 なかば伝説と化している練習試合を長友はこう振り返っている。
「喧嘩しながらガンガンやり合った。そういう部分では絶対に負けたくないですから」
 当然、FC東京の目に留まる。「アイツは誰なんだ」と唸った当時の原博実監督(現日本サッカー協会技術委員長)のたっての希望でJFA・Jリーグ特別指定選手となり、その年の秋には3年生ながらプロ契約の打診を受ける。まさに究極のサクセスストーリー。長友の体にはサイドバックに求められるすべての適性が、完璧なまでに搭載されていたのだ。


 まずは、1対1における無類の強さ。鋼の上半身を抜きにこれは語れない。
「アイツが上半身裸になった時を見たら、本当に驚きますよ。まったく無駄がない」
 こう語るのは、サイドバックへの転向を強引に勧めた明治大学の神川明彦監督だ。高校1年で現在と同じ1メートル70で身長が伸び止まると、長友は筋トレを独学で開始した。
 カップラーメンなど脂肪分が多いものは一切口にしない。ひたすらストイックに。体脂肪率が3・5パーセントと計測されたこともあった。人間が生きていけるギリギリの数字だ。
 いまでは親しみを込めて「ゴリラ」と呼ばれるゆえんでもある。


 もうひとつはスタミナ。これには駅伝部と兼務だった中学時代がルーツとなっている。
 駅伝部顧問を兼ねた井上教諭から半強制的に誘われたが、過酷な練習にも長友だけは絶対に弱音を吐かず、自宅に戻ってもランニングに汗を流した。その成果は、愛媛県の駅伝大会のアンカーで100人近くの精鋭が集う中で3位になった実績が物語っている。
「あの練習の日々で間違いなくスタミナがついたはずです」
 井上教諭はこう振り返るが、長友自身も同教諭に同じことを言ってくるという。


 明治大学サッカー部を3年限りで退部し、FC東京で左サイドバックとしてデビューすると、例えるなら「肉食系」のプレーに今度は日本代表の岡田武史監督が一目惚れした。
 A代表のデビュー戦となった08年5月のコートジボワール戦では、アーセナルでプレーする攻撃的な右サイドバックのエマニュエル・エブエを完全に封じ込めた。オランダのカイト、韓国の朴智星、イングランドのセオ・ウォルコット、カメルーンのエマニュエル・エトー。強敵たちと「タイマン」を繰り返し、負けても倍返しを誓いながら長友は成長を続けてきた。


 19日のオランダ戦。後半27分に快足FWエリエロ・エリアが左サイドに投入されると、岡田監督は即座に長友と左から右のサイドバックに配置転換した。
 長友なら止めてくれる。長友ならエリアに仕事をさせない。絶対なる信頼感が伝わってくる。もちろん、デンマークのロンメダールも止めてくれる、と。
 積み重ねてきた自信がそうさせたのか。W杯に入ってからの長友の表情には精かんさと、まるで野武士のような荒々しさが見事なまでに同居している。


「自分の意思次第で道は変わる」
 愛媛に里帰りした長友が井上教諭の教え子に贈った言葉は、長友の波乱万丈に富んだサッカー人生で絶対にぶれなかった指針でもある。いまでも頻繁に連絡を取り合うという同教諭は、南アフリカの地で決戦へのイメージを高めているであろう長友に熱いエールを送る。
「アイツにはずっと『心でボールを蹴れ』と言ってきた。周りの人に喜んでほしいから頑張れる男。何かどでかいことをすると思ってきました」


 引き分け以上で日本の決勝トーナメント進出が決まるデンマーク戦は、まさに長友のサッカー人生の中でもクライマックスのひとつとして刻まれるだろう。
 最愛の母。ドラマ『スクールウォーズ』のように荒れていた西条北中学サッカー部を建て直し、サッカーの道に引きずり戻してくれた井上教諭。サイドバックとしての適性を見抜き、明治大学サッカー部退部を涙で了解してくれた神川監督―。
 支えてくれたすべての人々への感謝の思いをエネルギーに変え、ロンメダールとの「タイマン」に勝利した時、「ビッグになる」という長友のもうひとつの夢もかなう。

2010年6月23日 15:48|記事URLコメント(0)トラックバック(0)

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