Home > 本日の論! > 巨星堕つ。ヤンキースの名物オーナーの急死を悼む  by 藤江直人

巨星堕つ。ヤンキースの名物オーナーの急死を悼む  by 藤江直人

 久しく名前を聞かないと思っていたら、まさか訃報が飛び込んでくるとは。
 メジャーリーグの名門ニューヨーク・ヤンキースの筆頭オーナー、ジョージ・スタインブレナー氏が日本時間13日夜に急死したニュースには、生前の氏に多少なりとも接したことのある者として、驚きとある種の寂しさを感じずにはいられなかった。
 死因は心臓発作。アメリカの独立記念日である今月4日に80歳になったばかりだった。実質的なチーム運営を2人の息子に任せ、第一線を退いてから3年近くの歳月が流れていた。


 サンケイスポーツの米ニューヨーク駐在員を務めていた1997年から1998年にかけて、スタインブレナー氏と3度の「超接近遭遇」を経験したことがある。
 まず思い出されるのは冷徹で強面な性格。1998年3月。同氏の自宅のあるフロリダ州タンパで行われていたヤンキースの春季キャンプ中のできごとだった。
 メーン球場のレジェンズフィールド内にあるエレベーターに急いで乗ると、中には一人の見覚えのある紳士が立っていた。スタインブレナー氏だ。お付きは誰もいない。


 目的の階に差し掛かったところで、同氏がいきなり大声を発して激怒しはじめた。対象はエレベーターのボタン操作を担当する年配の女性だった。
 球場には地元のシルバー対策も兼ねてこうした方々が多く勤務している。その女性の対応が気に食わなかったのか。理由は定かではないが、スタインブレナー氏はその場で解雇を告げて足早に去っていった。あ然とする女性の横で私も凍りついた。方針を巡って対立した監督を解雇すること十数回。同氏の瞬間湯沸かし器の側面を身を持って味わった数秒間だった。


 タンパでの春季キャンプ中の昼食は、球場内にあるレストランで済ませる。5ドルから6ドルを払えばかなり満腹になるボリュームだ。同じく1998年3月のある日、私の前にスタインブレナー氏が並んでいたことがある。直後、店員が血相を変えてその場から走り去った。
 スタインブレナー氏が出したのは100ドル紙幣。どうやらお釣りがなかったようだ。日常生活で100ドル紙幣を使うアメリカ人は極めて稀だが、かといって時間がかかれば「準備がなってない」と逆鱗に触れることは必至。店員の気持ちが痛いほどよくわかった。


 その際だが、紙幣の束ではちきれんばかりに膨らんでいるスタインブレナー氏の財布の中身が私の目に飛び込んできてしまった。すべてが100ドル紙幣だとしたら、日本円で軽く100万円になる現金をポケットの財布の中に持ち歩いているのだ。
 金も出すが口も出す。船舶業で財をなし、42歳だった1973年に1000万ドルでヤンキースを買収した時からのスタインブレナー氏の方針だ。実際に強引な大型補強を繰り返してきたが、その金持ちぶりが浮世離れしていることを実感した瞬間だった。


 最後に紹介する遭遇が、実は最も印象深いものだった。
 1997年10月。ヤンアキースがインディアンスとのプレーオフ1回戦を戦っていた中で、敵地クリーブランドへの移動日にタンパへ飛んだ。ヤンキースが1回戦を勝ち進んだ場合、先発要員として昇格すると見られていた伊良部秀輝投手の調整キャンプを取材するためだった。
 朝一番の飛行機でニューヨークを立ち、慌しく取材を済ませ、午後の便でカナダ国境に近いクリーブランドへ。たどり着いたタンパ空港で歓迎すべきトラブルがあった。


 航空会社の手違いで座席がない、という理由でファーストクラスをあてがわれた。長距離移動で疲れ果てた体を休めるには絶好のチャンス。飛行機が離陸する前にはもう熟睡し、機内食も食べることなく、約4時間後に着陸の際の振動で目が覚めたその時だった。
「ハロー、ボーイ」
 笑顔で話しかけてくる見覚えのある紳士。通路を隔てた隣にいたのは何とスタインブレナー氏だった。ヤンキースの試合を観戦するためにタンパの自宅から駆けつけたのだ。


 飛行機がタラップに着くまでに5分ほどながら時間がある。地元ニューヨークのメディアでさえ滅多に単独では近づけないオーナーと話ができる千載一遇の機会。名刺を差し出し、挨拶をかわした上で、その場でひとつ質問をしていいか訪ねてみた。
「OK、ウェルカム」
 スタインブレナー氏は笑顔で即答してくれた。お付きの人間のお咎めもなし。聞きたかったことは、もちろん入団1シーズン目を5勝4敗、防御率7点台で終えた伊良部への評価だった。


 伊良部の入団時には「ジャパニーズ・ノーラン・ライアン」とまで絶賛していたスタインブレナー氏の言葉は厳しさにあふれていた。
「今シーズンはボーナスとしてくれてやる。来シーズンに真価を見せろ」
 要約するとこうなっただろうか。真価と進退を問われる2年目という内容で翌日の1面を書かせてもらった。その年のヤンキースはインディアンスに敗れて終戦を迎えたが、翌年にはワールドチャンピオンを奪回。伊良部は先発の一角として13勝9敗の好成績を残している。


 飛行機の機内で取材を申し込んだ私の行動は非常識だったが、それ以上に笑顔で受け入れてくれたスタインブレナー氏の度量の広さに魅せられたことをいまでも鮮明に思い出す。
 金も出すが口も出し、普段は温厚な紳士がヤンキースのことになると激情家に変わる。スタインブレナー氏の一連の行動から伝わってくるのはヤンキースへの深い情愛。投機目的で就任するオーナーが少なくない昨今では稀有な存在であり、だからこそ選手や指導者、メディアを含めたMLB関係者から敬意を込められて「ザ・ボス」と呼ばれていたのだろう。
 

 タンパにおける療養生活ではヤンキースの試合が何よりの楽しみだったという。シリーズMVPを獲得した松井秀喜の大活躍で9年ぶりにワールドシリーズを制した昨シーズンに続き、今シーズンのヤンキースもア・リーグ東地区の首位を快走している。
 これからは天国から愛するピンストライプのユニホームを見守るのだろう。生前のスタインブレナー氏にわずかでもかかわった者として、記憶の中に残る同氏の厳しさとあふれるような優しさをこうして綴ることで、僭越ながら追悼の意を表したいと思う。合掌。

2010年7月14日 16:41|記事URLコメント(0)トラックバック(0)

トラックバック(0)

この記事のトラックバックURL: http://sv62.wadax.ne.jp/~sports-times-jp/mt/mt-tb.cgi/406

コメント(0)

コメントを書く