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ドイツのDNAが宿る19歳が示す日本代表の新陳代謝 by 藤江直人

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来年1月7日から中東カタールで開催される4年に一度の大陸王者決定戦、アジアカップへ向けた日本代表の強化合宿が、27日から大阪市内で始まる。
24日に発表された23人のメンバーの顔ぶれをみると、アルベルト・ザッケローニ監督が表明した所信が、ゆっくりとではあるが確実に遂行されていることが分かる。
自身が選ぶ初めての代表メンバーが発表された9月30日。指揮官は4年後のブラジルW杯をにらんだ青写真をこのように描いていた。
「日本代表チームは長い目で育てていかなければならない。そのコンセプトからいくと、世代交代は避けられない。一気にではなく、徐々に変化をつけていきたいと思っている」
長く日本サッカー界をけん引してきた1978年の黄金世代を含めて、平均年齢24.7歳と南アW杯より約3歳も若返ったメンバーの中に1970年代生まれの選手はいない。
最年長が1980年1月生まれのMF遠藤保仁(ガンバ大阪)の30歳。32歳のDF中澤佑二(横浜F・マリノス)は故障で、30歳のMF中村憲剛(川崎フロンターレ)は「非常に実力があり、私の中では計算のできる選手」という理由で今回は外された。他にも29歳のMF阿部勇気(レスター)らを招集しなかった理由について、指揮官はこうも付け加えている。
「今回は思い切って若い選手たちを積極的に選んだ。1か月という長い期間を一緒に過ごすこともあり、若い選手に自分の思いや考えを伝えていければいいと思っている」
公約に掲げてきた世代交代。その象徴の一人がDF酒井高徳(アルビレックス新潟)となる。
1991年3月生まれの酒井はまだ19歳。年代的にはユース世代であり、ロンドン五輪を目指すU‐21代表をスキップしての、いわゆる「飛び級」での招集となる。
ヨーロッパ人と見間違えてしまうルックスは、父親が日本人、母親がドイツ人と聞くと納得できる。母方のDNAを色濃く受け継ぎ、米国ニューヨークで産声を上げ、父親の仕事の都合で2歳の時に新潟県三条市に移り住むという異色の経歴をもつサイドバックだ。
酒井「さすがに、アメリカのことはまったく覚えていないんですよ。セントラルパークなどによく行っていたというので、住んでいたのはマンハッタン島だと思うんですけど」
酒井は20歳までにアメリカかドイツかどちらかの国籍を選べることになっていた。しかし、中学に入ってからしばらくして、自らの希望で父と同じ日本人になることを決意する。
物心がついた時から、サッカーに夢中になった。その体にはドイツ人のDNAがもたらす強靭なフィジカルと無尽蔵のスタミナが宿り、時間の経過とともにめきめきと頭角を現してきた。そんな時に、日本サッカー協会の関係者が慌てて一本の電話を入れてきたという。
酒井「U‐15の日本代表に選ばれることになって。そのために『日本の国籍を取ってもらわないと困る』と言われたんですけど、僕自身、迷いはなかった。気持ちはずっと日本人だったし、実際、日本語しか話せないし(笑)。日本代表に入れるなら喜んで、と思いました」
年代別の日本代表で長く酒井を指導してきた布啓一郎氏は、「テクニック的にはまだまだ発展途上」と師ながらも、酒井の魅力をこう指摘する。
「運動量が多いし、そこが彼のストロングポイントになるでしょう」
A代表の岡田武史前監督も酒井の存在には目をかけていた。出場経験の少ない若手だけの編成で臨んだ今年1月のイエメンとのアジアカップ最終予選で当時18歳の酒井を抜擢。残念ながらピッチに立つことはなかったが、6月のW杯本大会にサポートメンバーとして南アフリカまで帯同させたことからも、大きな期待を寄せていたことがうかがえる。
実際、A代表と同じ空気を共有した約1か月は、酒井に人生最大の刺激を与えている。
酒井「大会前の親善試合ではベンチに入れましたけど、実際にW杯が始まるとスタンドで観戦せざるを得なかった。それでも、ロッカールームには入れてもらえたので、チームの雰囲気を盛り上げるという部分では力になれのかな、と思っている。あのような大舞台を目の当たりにして、やはり夢というものを感じた。サポートメンバーとはいえ、自分もここまで来ているということは、チャンスはすぐそこにあるということを実感できました」
アルビレックスの森保一ヘッドコーチは、南アフリカから帰国後の酒井の姿に「もっと成長したい、という気持ちがプレーにも練習にも表れている。大いなる刺激を受け、より貪欲になって帰ってきたのは間違いないでしょう」と目を細めていたものだ。
南アの前線基地ジョージでの練習では、1次リーグで対戦するカメルーン、オランダ、デンマークの左サイドバックのプレースタイルを徹底的に模倣した。
もっとも、酒井はいわゆる「噛ませ犬」のまま終わるつもりは毛頭なかった。
酒井「ディフェンスの時のポジション取りを、同じサブ組だった岩政さん(大樹=鹿島アントラーズ)や時に(中澤)佑二さんに声をかけて教えてもらった。そういう部分はJリーグでも意識してできるようになってきた。寄せに関してとか、逆サイドにボールがある時の位置取りや絞り方というのを。すごくいい経験を積んで帰ってこられたと思っている」
同じポジションのDF長友佑都の一挙手一投足を凝視したのは言うまでもない。
アルビレックス新潟ユースから昇格して2年目の今シーズンは、左サイドバックのレギュラーとして完全に定着。25試合に出場し、8月には一般女性と結婚して周囲を驚かせた。
世代別の代表ではボランチやサイドハーフも経験してきたが、1メートル76、74キロという自身のサイズも考え、今後はサイドバック一本で勝負する決意を固めている。
酒井「左でも右でも、どちらでも大丈夫。単純なパスミスとか、そういう 部分がまだまだ多いし、ホントに課題だらけですけど、ひとつずつクリアしていけば4年後(のブラジルW杯)は十分に間に合う年齢だと思っているので。まずは止めて、蹴ること。何がすごかったって、W杯に出ていた海外の選手はみんな基本技術が完璧でしたから」
海外のチームでも、やはり同じサイドバックの選手に目を奪われた。
酒井「印象に残ったのは、ドイツのラームとブラジルのマイコンですね。特にお気に入りはラーム。ポジショニングもいいし、攻撃にも積極的に参加する。サイズもほぼ一緒だけど、当たり負けもしないし、攻撃参加しても前で起点を作ることができるので、すごくいい選手だと思いました。右も左もできる部分も僕と一緒だと思うので」
マイコンは角度ゼロの地点から右足のアウトサイドに引っ掛け、シュート回転をかけてキーパーとポストの狭い隙間をぶち抜いてネットを揺らした北朝鮮での先制ゴールが強烈な記憶として焼きついているという。酒井自身、まだJ1でゴールを記録していないからだ。
今回は10月の韓国戦で右上腕部を骨折したDF駒野友一(ジュビロ磐田)の回復が間に合わなかった、という「追い風」に後押しされての抜擢でもある。しかし、そうした「運」も、A代表の中で確固たる居場所をつかむためには必要不可欠なものとなる。
しかも、セリエAでも存在感を発揮している長友(チェゼーナ)はもちろんのこと、ドイツの地でたくましさを増している内田篤人(シャルケ)と、日本の両サイドバックに君臨する2人の壁は厚い。だからこそ、酒井はチェレンジャー精神が昂ぶってくるのを感じずにはいられない。
酒井「日本代表に選出されるとは思っていなかったので、正直びっくりしている。行くからには全力でアピールをして、いい経験をするとともに、優勝を達成できるように頑張りたい」
強化合宿は大晦日と元日の休暇をはさんで3日まで行われ、その日の夜にカタールへ出発。9日のヨルダンとの1次リーグ初戦へ向けていよいよ臨戦態勢に突入する。
24日の代表発表会見で、ザッケローニ監督は若手選手へあらためてメッセージを送った。
「いつも通りの彼らの力を出してほしい。真のサッカー選手になるには経験というものが必要。アジアカップという重要な戦いを経験することで、さらなる成長を期待している」
チーム唯一の十代となる19歳の酒井のエネルギッシュでプレーが24歳の長友、22歳の内田を刺激し、サイドバックのポジション争いでさらなる切磋琢磨を呼び起こせば。22歳の吉田麻也(VVVフェンロー)が初招集されたセンターバックも然り。W杯ブラジル大会へとつながる日本代表の新陳代謝、つまりは進化の第一歩がそこから始まる。
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2010年12月27日 01:04|記事URL|コメント(0)|トラックバック(0)
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