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果てしなき夢へ。クイーン澤穂希を鼓舞する2つの「勝ち曲」  by 藤江直人

果てしなき夢へ。クイーン澤穂希を鼓舞する2つの「勝ち曲」  by  藤江直人

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 フィクションの世界である曲の歌詞が、ここまで現実とダブるものなのだろうか。
 今も頻繁にテレビのニュースなどで流されている、なでしこジャパンがW杯制覇を勝ち取る直前のシーン。クライマックスを迎えたPK戦を見守るなでしこのキャプテン、MF澤穂希は左側に並ぶDF鮫島彩、右側のMF宮間あやの手を握り締め、自分のほおに押しつけていた。
 ジッと目を閉じたその胸中は何を思っていたのか。金メダルを携えての凱旋帰国会見が行われた都内のホテル。会見場の隅に設けられたミックスゾーンで澤は苦笑いで明かしてくれた。
「サッカーの神様にお願いしちゃっていました。いつもお願いことをしてばかりでホントに申し訳ないんですけど、あのときは最大のお願いごとをしちゃいました」


 澤がキックオフ前のロッカールームで聴いて、気持ちを昂ぶらせてきた「勝ち曲」がある。
 ひとつはFUNKY MONKEY BABYSのバラード『あとひとつ』であり、もうひとつがナオト・インティライミのちょっとアップテンポな『Brave』だ。
 昨夏の甲子園大会を放送した朝日放送の応援ソングに起用され、ジャケットに東北楽天ゴールデンイーグルスの田中将大が登場したことでも有名になった『あとひとつ』のサビはこう綴られている。
「あと一粒の涙で ひと言の勇気で 願いがかなうその時がくるって」
 日本の4人目のキッカー、20歳のDF熊谷紗希がPKを成功させれば、澤をして「ずっと、ずっと目標にしてきた」と言わしめる世界の頂点に立てる。願いがかなうその時が訪れる。


 何度も何度も『あとひとつ』を聴いては、世界を制する瞬間をイメージしてきたのだろう。
「熊谷は入れると思っていましたけど、それでも気持ちだけは熊谷に伝えたくて。気持ち、届きましたね(笑)。すごく自信がある感じでしたし、むしろ若い子の方が伸び伸びとしているというか、リラックスしてプレーできているという部分が大きいのかな、と思っています」
 もっとも、万が一、熊谷が失敗していたらどうなっていたか。テレビの画面越しに見守っていた側としては「まだ頼れるキャプテンが控えているさ」と安心していたが、実際に5人目としてスタンバイしていたのは澤ではなく、大会初先発だったスウェーデンとの準決勝で2ゴールをマークし、シンデレラとして眩いスポットライトを浴びたMF川澄奈穂美だった。


 蹴る順番が最終的に決まったのは、PK戦が始まる直前に組まれた円陣の中だった。
 2対2のまま延長戦が終わると同時に、リラックスさせるための「おやじギャグ」をひねり出す暇も余裕もないほど、佐々木則夫監督は急ピッチでオーダーを考案する。親しみと尊敬の念を込めて「ノリさん」と呼ぶ指揮官へ。澤は「私、絶対にPKはイヤ」と申し出でていた。
「PKを成功させる自信がまだ100パーセントになっていないというか。ましてやW杯の決勝という舞台でしたし、PK戦で負ける悔しさは分かっているので断らせてもらったんです」
 2006年にカタールで開催されたアジア大会。PK戦にもつれ込んだ北朝鮮との決勝は、1番手の大役を託された澤が失敗したことで流れが相手に傾いて日本は苦杯をなめた。


 一人では立ち上がれないほど号泣した澤の脳裏に、今も癒えない大きなトラウマとして刻まれているのだろう。未体験の緊張を強いられるPK戦とあって、さすがに他の選手からは「えー、澤さんズルーい!」という声があがったが、すかさず佐々木監督が「助け舟」を入れる。
「みんな、澤は1点を取るという大仕事をやったんだからいいじゃないか!」
 1対2とリードを許し、敗色濃厚だった延長後半12分。宮間がニアサイドに放った左CKに対して、ファーサイドから猛然と走り込み、ジャンプ一番、右足のアウトサイドにボールをヒットさせてコースを変え、ゴールネットを揺らした起死回生の神業弾。大会得点王をも確定させた一発の価値を分かっているからこそ、後輩たちも「ハイ」と素直にうなづいた。


 指揮官が用意したホワイトボードには、選手の名前が記された磁石がPKを蹴る順で貼りつけられていた。そこに澤は「じゃあ、私はここで」と10番目に自分の磁石を移動させる。
 終了直前にDF岩清水梓が1点を阻止するために覚悟を決めてファウルを見舞い、レッドカードを提示されていたこともあって、日本は10人でPK戦に臨んでいた。
「お前なあ、フィールドプレーヤーなんだから、せめて海堀の前に蹴るようにしろよ」
 佐々木監督が呆れるように澤の磁石をGK海堀あゆみの前、9番目にずらしながら続ける。
「大丈夫。ここまで(順番は)回ってこないから」
 まるで漫才のような指揮官とキャプテンの掛け合いに、円陣は笑いの渦に包まれた。


 その直前。おやじギャグの代わりに、佐々木監督は笑顔でこんな言葉を授けている。
「PK戦に持ち込んだなんて、それだけでもうけものだよ、と。アメリカは勝ったと思った試合がPKになったんだから。キッカーもキーパーの海堀もそう思ってほしいと思いましてね」
 日本のお株を奪うようなポゼッションサッカーを、パワーとスピードを加えて展開され続けた120分間。耐えて、耐えて、耐え抜いて、きっと訪れるであろうチャンスを確実にものにしてアメリカを引きずり込んだPK戦。どちらが精神的に優位に立っていたかは、もはや言うまでもない。
 指揮官の逆転の発想がもたらした平常心は、澤とのユーモアあふれるやり取りでさらに増幅され、宮間、FW永里優季、MF阪口夢穂、熊谷、川澄と決まったキッカーへ伝わっていった。


 19日早朝にドイツから凱旋した成田空港では、総勢600人を超えるファンとメディアの出迎えを受けた。W杯制覇に得点王にMVP獲得。手にした偉業に実感がわいてくる。
「女子代表に入って18年目。ここまで来るのは長かった。世界で金メダルを獲るなんて、今までは考えられなかった。すごく重みのある金メダルだと思う。大会を通じて最後まであきらめず、なでしこらしい団結力を見せた結果。スタッフやチームメート、そして今までなでしこに携わってきた方々のおかげで取れた得点王とMVPだと思う」
 15歳で日の丸を背負った。景気の低迷とともに冬の時代も味わった。それでも、決して選手層が厚いとは言えない日本の女子サッカー界を、その小さな背中で引っ張ってきた。


 出場を逃した責任を一身に背負ったシドニー五輪。満身創痍の体に痛み止めの注射を打ち、最後は座薬を服用してまでピッチに立ち続け、難敵・北朝鮮を撃破して出場を決めたアテネ五輪。3年前の北京五輪では過去最高位のベスト4にまで進みながら、メダルに手が届かなかった。
 一方では新たなチャレンジの場を求めたアメリカでリーグそのものが消滅する憂き目に遭い、中学生のときから慣れ親しんできた日テレ・ベレーザからは、逼迫する経営事情もあって昨シーズン限りでプロ契約を結ばない旨を通告され、今年からINAC神戸レオネッサに移った。
 走馬灯のように脳裏を駆け巡るさまざまな思い出。澤のサッカー人生は、今年4月に発売されたナオト・インティライミの5枚目のシングル『Brave』の歌詞そのものでもある。


 和訳すると『勇気』となるサビの部分には、こんな言葉が綴られている。
「夢のまた夢で届かない いつかは描いたものを この手に掴むまで歩き続けていこうか」
 トップランナーとして走り続けてきた澤に憧れ、必死になって距離を縮めようと努力を積み重ねてきたのが宮間であり、澤を姉と慕うMF大野忍やDF近賀ゆかりである。
 日本には澤しかいないと揶揄されたときも確かにあった。でも、今は世界に誇れる強く、頼もしい後輩たちがいる。胸に光り輝く金メダルを見ながら、澤は万感の思いを募らせる。
「この大会では、宮間や大野、近賀といった中堅の選手たちが下の世代を引っ張り、私たちベテランを後押ししてくれた。サッカー以外のことでも目を光らせてくれていたんです」


 1対1で迎えた決勝戦の延長前半14分。もっとも警戒していたアメリカのエース・ワンバックにゴールを許し、勝ち越されてしまった瞬間、澤は摩訶不思議な感覚の中にいたという。
「普通なら『ああっ』となることが多いんですけど、みんな落ち着いているというか、まったく焦っていなんです。むしろ自分が一番焦っていたんじゃないかと思えるくらいに」
 長く日本のアキレス腱と危惧されてきたゴールキーパーと相手の攻撃をはね返す屈強なセンターバックには、24歳の海堀と8月から活躍の場をドイツへ移す20歳の熊谷が仁王立ちした。
 18歳のFW岩渕真奈は世界が天才と絶賛した才能の片鱗を見せつけ、昨年のU‐17W杯で準優勝を果たした予備軍も虎視眈々となでしこ入りを狙っている。もう層が薄いとは言わせない。


 9月1日からは来夏のロンドン五輪出場をかけたアジア最終予選が中国で開催される。今回のW杯を「集大成」と公言してきた澤の中では、すでに新たなモチベーションが芽生えている。
「こうして金メダルを目にすると、人間、欲が出ちゃうもので(笑)。まだ五輪ではメダルを獲っていないので、(ロンドンでは)金メダルを獲るのが目標です」
 日本、中国、韓国、北朝鮮、オーストラリア、タイの6か国が一堂に介して中2日で総当りのリーグ戦を行い、上位2か国にのみ与えられる五輪切符を争う過酷な戦い。
 もっとも、オーストラリア戦翌日の9月6日に33歳となる澤にとって、ロンドン五輪は夢の終着駅ではない。日本の女子サッカーをメジャーにしたい。抱き続けてきた思いはいまだ道半ばだ。


 会見での代表質問では、今回の優勝でどのような待遇の改善を日本サッカー協会に要望するのか、とも聞かれた。ボーナス増額などの報道もすでに飛び交う中、澤の答えは決まっていた。
「これからサッカーを始めたい女の子だったり、サッカーをする女の子をもっともっと増やしていきたいこともあるので。今の女の子は、中学校に上がるとサッカーができる環境がなかなかない。そういうところにもっと力を入れていただければいいなと思っています」
 決して恵まれているとは言えない現在のなでしこを取り巻く環境も変えたいが、それ以上に今回の快挙を底辺を拡大させる起爆剤にしたい。女がサッカーなんて、という偏見の目すらも向けられた黎明期の先輩たちからバトンを受け取った澤の、偽らざる本音でもあった。


 合同会見の最後に、澤は自身の座右の銘を全国の子供たちへ発信している。
「夢は見るものではなく、かなえるもの」
 何度も、何度も悔し涙を流してきた。それでも、決してあきらめなかったからこそ今がある。くしくも『あとひとつ』と『Brave』の一節は、これから澤が歩む道や抱く覚悟とシンクロしている。
「抑えきれないこの気持ちを希望と呼ぶなら いったい誰が止められるというのだろう」
「僕らならできるって思いながら闘って 新しい未来をイメージすればいい」
 今週24日にはなでしこリーグが再開する。その間にもテレビ出演やさまざまな行事も予定されている。ほぼすべてをこなしながら、限られた時間の中で新たなコンディションを心身両面でつくりあげて、ドイツの地に黄金に輝く伝説を打ち立てた偉大なクイーンは再び全力で走り出す。


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2011年7月20日 05:01|記事URLコメント(0)トラックバック(0)

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