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東北復興の光へ。「言霊」に導かれるベガルタ仙台の逆襲  by 藤江直人

東北復興の光へ。「言霊」に導かれるベガルタ仙台の逆襲  by  藤江直人

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■J1第27節
横浜F・マリノス[勝ち点51] 1‐3(前半1‐2) ベガルタ仙台[勝ち点44]
[9月24日午後3時4分キックオフ@日産スタジアム/観衆2万3204人]


※9月28日に全国書店で発売される『論スポ』第10号では、大震災と原発事故の影響によるサッカー部の存続危機を乗り越え、連合チームを結成して全国高校選手権福島県大会に出場した原町・相馬農業両校の挑戦を追ったノンフィクションを掲載しています。


 日産スタジアムのメーンスタンド下にある記者会見室が一瞬、静まり返った。会心の逆転勝利で今シーズン初の4連勝を飾ったベガルタ仙台の手倉森誠監督が胸を張って発した「ある言葉」が、その場にいたほとんどのメディアに驚きを持って受け止められたからだ。
「優勝争いに参加できる準備ができたという話を、選手たちにしてきたところです」
 夏場に喫した9試合連続勝ち星なしの泥沼を脱出して以降、5試合を4勝1分けと鮮やかなV字回復を果たしてきた自信と勢いは、マリノス相手でも十二分に伝わってきた。もっとも、試合が終了した時点における首位ガンバ大阪との勝ち点差は10。残りは7試合。もちろん勝負ごとに絶対はないが、それでも数字的には極めて厳しいという思いを誰もが禁じえなかった。


 失礼ながら筆者も首を傾げた一人だった。しかし、これを「言霊」と呼ぶのだろうか。
 ガンバがホームの万博競技場で、J2への降格圏にあえぐ16位ヴァンフォーレ甲府に完敗したという一報が届いたのはおよそ4時間後。一夜明けた25日には、勝てば首位に返り咲くはずの柏レイソルが、同じくJ1残留に必死な大宮アルディージャに1対3と苦杯をなめた。
 特にレイソルは1点ビハインドの後半23分にPKを獲得したが、名手のMFレアンドロ・ドミンゲスがまさかの失敗。その後にカウンターからダメ押しの1点を奪われている。
 ガンバ、レイソルが立て続けに足をすくわれる展開に、手倉森監督の「優勝争い」なる言葉に神秘的な力が宿り、いわゆる「言霊」となってベガルタを後押ししたと思ったわけだ。


 J2時代からベガルタを率いて4シーズン目になる43歳の手倉森監督は、とにかくじょう舌だ。負け試合の後だろうが何だろうが、寡黙という言葉とはいっさい無縁。勝てばリップサービスも幾分加味されて、試合後の公式会見は文字通りエピソードの宝庫と化す。
 1メートル72、74キロとやや太めの体型とオープンな性格から、選手たちから「マコトさん」と呼ばれる指揮官は、試合直前のミーティングでこんな檄を飛ばしたという。
「相手は優勝争いをしている。ホームでの試合になればなるほど、絶対に勝たなければいけなというプレッシャーもあるだろう。そして、ベガルタのサッカーを警戒もしている。そうなった時に、我々はどのように戦っていけばいいのか。思い切ってやるだけだ」
 

 キックオフ前の時点で全員守備と堅守速攻を二本柱に掲げるベガルタの22失点はリーグ最少であり、わずか1差でマリノスが続いていた。手倉森監督はこんな指示も出している。
「いかに失点しないかというところが大事になってくるが、もし1点を先制されても、マリノスは確実にブロックを組んでくるから我々の方がボールを動かせるはずだ」
 開始わずか3分。FW柳沢敦が不用意にボールを失い、そこからのカウンターでオーバーラップしてきた右サイドバックの小林祐三に先制ゴールを許した。まさかの展開にも慌てることなく、責任を感じる柳沢に対して選手たちが「かえってこれで落ち着けますよ」と声をかけたのも、マリノスの戦い方を綿密にスカウティングしていた指揮官の言葉の賜物と言っていい。


 実際、失点の7分後にはベガルタが同点に追いついている。
 スローインのボールを受けた柳沢が左サイドからロビングを上げ、MF松下年宏が後方へ落としたところへ、フリーで走りこんできたボランチの角田誠がワントラップから余裕を持って右足を一閃。低く鋭い弾道が約25メートル先のゴール左隅に突き刺さった。
「お互いに手堅い守備という点で同じようなオーガナイズを組んでいますけど、マリノスさんは『やられないだろう』という感じの守備だったのかもしれませんね」
 今シーズンわずか1ゴール。通算でも213試合に出場して12ゴールという角田を甘く見ていた。そう言わんばかりに、指揮官は「ウチはそのエリアで厳しく守れた」と胸を張った。


 同点からわずか2分後の前半12分には、電光石火の逆転劇に成功する。
 リスタートから素早く左サイドに展開し、北朝鮮代表MF梁勇基がゴール前へ放ったクロスとニアサイドへ向かって空中遊泳してきた柳沢の頭が完璧にシンクロ。マリノスGK飯倉大樹が一歩も動けない中、斜め後方に弾かれたボールは緩やかな軌道を描いてゴールに吸い込まれた。
 ベガルタに移籍して13試合目で待望の初ゴールを決めた34歳のベテランストライカーは、満面に笑みをたたえながらベンチ前で喜びを爆発させている指揮官の胸に飛び込んできた。
柳沢「取れました!」
手倉森監督「やっぱり取ったな」


 この短い会話にまつわる逸話も、指揮官は会見で余すことなく明かしている。
「実は昨日の段階で『点が取れるんじゃないか』と柳沢本人に言っていたんです。松田直樹選手が亡くなって、ベガルタで一番心を痛めていたのが柳沢だった。だから『明日はマリノスではなくて、松田選手はお前のことを応援してくれるかもしれないよ』とも」
 2002年6月9日。柳沢がMF稲本潤一の決勝ゴールをアシストし、松田さんがフラット3の一角で体を張って虎の子の1点を死守したロシア戦。日本がW杯史上初勝利を挙げた思い出が鮮明に残るピッチで、柳沢はマーカーのDF中澤佑二に巧みに体を当てて動きを封じ込め、その反動でジャンプ。いっさいの無駄がない流れるような動きに最も驚いたのが柳沢本人だった。


 試合後の取材エリアとなるミックスゾーン。ヒーローは独特の控えめな口調で、ともに日の丸を背負い、数々の国際舞台を戦ってきた1学年上の松田さんへ節目のゴールを捧げた。
「感触がよすぎて、体に残っていないくらいで。一番記憶に残るゴールになると思う。僕自身、ゴールを決めなければサポーターに受け入れてもらえない、という意識が強かった。ちょっと遅すぎましたけど、これで新たなスタートが切れたと思っている。このスタジアムでの思い出はたくさんある。(松田さんは)ミスターマリノスそのもの。若い時からいろいろとプロとしてのアドバイスをもらってきたし、ポジションは違うけど、目標としてきた選手でもある。(今日は)一緒に戦っている気がしたというか......新しい思い出をつくれました」


 3月11日に発生した東日本大震災でクラブハウスが半壊状態となり、ホームのユアテックスタジアムも損壊した。練習も満足にできない中、選手たちは車などで寝泊りする窮状を乗り越えて、4月23日のリーグ再開初戦で川崎フロンターレに執念で逆転勝ち。開幕からの連続無敗記録をJ1歴代2位の12試合にまで伸ばす快進撃で、被災地に勇気と感動を与えた。
 この間の成績は6勝6分け。白星のうち実に5つが1点差で、引き分けの中には後半終了間際に追いつく、あるいは追いつかれる展開が4つも数えた。
 常にギリギリの戦いを強いられてきたツケは心身のコンディションの悪化となって表れ、高温多湿の夏場の戦いで大失速を余儀なくされた。ベガルタは息切れした。誰もがそう思った。


 1対0で逃げ切った8月20日の名古屋グランパス戦を境に、ベガルタの何が変わったのか。
 角田は「涼しくなってきたことと関係はある。仙台は実際に涼しいので」と気候を理由に挙げるが、それだけではない。手倉森監督は9試合連続で勝ち星がなかった6月26日からの約1か月半の泥沼で体に刻まれた、苦い経験が発展途上のチームの糧になっていると強調する。 
「試合をコントロールできるようになった。堅守速攻、奪ってからの出方という我々のストロングポイントは変わりませんが、イケイケの展開だけにならず、ボールを動かす時間を十分つくれるようになってきた。ここがチームが成長している点だと思います。夏場(の失速)を取り戻すには、これ以上は負けたくないという思いがチーム全員にあることも大きい」


 後半10分にはけが人続出で本来のセンターバックから経験のない左サイドバックに入った栗原勇蔵のミスを突き、FW赤嶺真吾がクラブ新記録となる5試合連続ゴールでダメを押した。
 赤嶺が自己最多タイの12ゴールで得点ランキング4位タイに浮上すれば、J1でワースト6位タイの32ゴールと得点力不足に悩むチームも約3か月ぶりに3ゴール以上をマークした。
「赤嶺については、1点取れればどんどん続けて取れるようになる選手だと思っていました。実際にコンスタントに取り続けてくれている。大したものだと思っていますし、FWが点を決めることでチームは勢いがついていきますからね。それを先頭に立ってやってくれている」
 豊穣の秋へ。誰よりも手倉森監督自身が確かな手応えを感じている。


 J1では川崎フロンターレの相馬直樹監督、アルビレックス新潟の黒崎久志監督に次ぐ若さの青年指揮官だが、2人とは対照的にJリーグや日本代表でプレーした経験はない。
 1993年のJリーグ元年を前に、鹿島アントラーズから東北社会人リーグのNEC山形(現モンテディオ山形)に移籍。1995年の引退後はモンテディオや大分トリニータで指導者としてのキャリアを積み、2004年にコーチとしてベガルタに入閣。ヘッドコーチを経て、2007年シーズン限りで辞任した前任者の望月達也氏から推薦される形で監督に昇格した。
 青森県五戸町生まれの生粋の東北人にして苦労人。J1初さい配となった昨シーズンは14試合連続勝ち星なしの修羅場も味わい、14位で何とかJ2降格を免れてもいる。


 ベガルタとの3年契約が切れた昨年オフには、手倉森監督の続投を推す強化部と人事刷新を図るフロント上層部との間で、サポーターをも巻き込んだお家騒動が勃発している。
 最終的には契約が更新された経緯も、指揮を執って4年目となる今シーズンにかける手倉森監督の熱い思いを後押ししていることは容易に察しがつく。
「僕は日産のクロスオーバーに乗っているので、これから上位陣をクロスオーバーしていきたい」
 マリノスの親会社に引っ掛けたジョークで記者会見場を笑わせた指揮官だったが、次の言葉を口にした時は、必ずや神秘的な力が宿る、と自らに言い聞かせるように表情を引き締めている。
「勝ち続けて、優勝争いをして、被災地東北の希望の光になれればいいと思っている」

 
 J1におけるベガルタの最高位は、昇格元年でもある2002年シーズンのファーストステージの9位。残り7試合となった今シーズンは5位。優勝はもちろん、来シーズンのアジアチャンピオンズリーグ(ACL)出場権を得る3位以内に入る戦いも、すべてが初体験となる。 
 もっとも、さながら「手倉森劇場」と化した会見で掲げられた目標は、早くも「言霊」となって選手たちを「その気」にさせている。11月26日にはガンバとの直接対決も控えている。キャプテンの柳沢がチーム全員の思いを代弁する。乗り越えられない試練はない、とばかりに。
「チャンスがある限り上を狙っていくべきだし、それがチームを成長させる。ACLだけではなく、もっと上を。ACLを目指せるのならば、優勝だって狙えるはずですから」
 

※9月28日に全国の書店で発売される『論スポ』第10号では、大震災と原発事故の影響によるサッカー部の存続危機を乗り越え、連合チームを結成して全国高校選手権福島県大会に出場した原町・相馬農業両校の挑戦を追ったノンフィクションを掲載しています。


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2011年9月26日 01:57|記事URLコメント(0)トラックバック(0)

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