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Jの舞台へ受け継がれるDNA。町田ゼルビアの挑戦(2)  by 藤江直人

Jの舞台へ受け継がれるDNA。町田ゼルビアの挑戦(2)  by  藤江直人


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(1)より続く


 関東社会人リーグ1部で連覇を達成し、石垣島で開催された全国社会人地域リーグ決勝大会でも優勝。JFL昇格を決めた2008年は、FC町田ゼルビアの相談役を務める一方で、70歳を超えても小山FCで子供たちを指導していた重田氏と何度も酒を酌み交わしたという。
酒井「死期を悟ったとか言われてよく呼び出されては飲んで、いろいろな話をしました」
 2009年8月6日。重田氏はJリーグ参入の夢を見届けることなく天国へ旅立った。町田サッカー協会理事長だった重田氏が音頭を取り、同市社会人リーグに所属するメンバーを選抜する形でFC町田が結成されたのが1989年。ユニホームは故人がポケットマネーで調達し、創設から9年後の1998年には市民への認知度を深める願いを込めてゼルビアと命名された。


 重田氏と重ねた杯の意味は分かっている。ユースより上の環境が整備されていなかったがゆえに町田から離れることを余儀なくされ、苦い経験を何度も味わいながらも町田伝統のスタイルを忘れず、最終的にはJリーグははおろかJFLの舞台にすら立てなかった段階のFC町田ゼルビアに戻ってきくれた酒井や津田へ感謝の思いを伝え、夢の成就を託す場でもあった。
酒井「本当に長いというか、濃密な6年間でした。Jリーグに行くぞとは言っていたものの、ちょっと夢のような、それでいて現実のような気持ちをみんなも持っていたと思うけど、夢を信じて、あきらめることなくプレーしていけばいいことがあるんですね。ここで負けたらチームがなくなってもおかしくない節目がたくさんあったけど、一歩ずつ進んできて本当によかった」


 迎えた2011年12月11日。カマタマーレ讃岐をホームの町田市立陸上競技場に迎えたJFL最終節。すでにスタジアム設備などの面でJ2への入会審査を条件付きでパスしていたFC町田ゼルビアにとって、残された課題は成績面での参入条件となる「JFL4位以内」と、営業面でのそれとなる「ホームでの平均観客数3000人」をクリアすることだった。
 仮に負けたとしても5位のV・ファーレン長崎との得失点差の関係で4位がほぼ確定していたFC町田ゼルビアだったが、目標は別の次元に置かれていた。キャプテンの津田が言う。
「自分たちの思い描くサッカーをこの野津田のピッチで、ゼルビアのサポーターの前で披露しようとみんなで誓い合って臨みました。自分たちの集大成としていい試合ができたと思う」


 ハイライトは1対0で迎えた後半43分。左サイドを突破した酒井が送ったクロスを、その6分前から途中出場していたMF星大輔が左足で押し込んでダメを押した瞬間だった。
 カマタマーレ戦の前日に31歳の誕生日を迎えていた星も、酒井や津田と同じくFC町田ジュニアユースの出身。横浜F・マリノスユースから1999年にトップに昇格するも出場機会を得られず、FC東京、大宮アルディージャ、モンテディオ山形、京都サンガ、栃木SCと渡り歩いた末に、2010年シーズンからFC町田ゼルビアの一員として地元に戻ってきた。
 昨シーズンこそ27試合に出場して9ゴールをマークしたが、今シーズンは故障禍もあって先発はわずか4試合。無得点のまま最終節へ臨むにあたって、ある決意を胸に秘めていた。


 松本山雅を抜いて3位でシーズンを終えた試合後。涙するゴール裏のサポーターへ向かって、星は現役引退を告げている。今シーズンの初ゴールを地元での最終戦で、それも勝利とJ2参入を決定づける一撃を決める。アシストしたのはFC町田ジュニアユースの同志。ドラマのようなシーンだった。
酒井「誰かがファーサイドにいることは分かったんですけど、シュートを打つまでは星大輔だというのが見えなくて。今シーズンはなかなか出番がなかった中で、本当に一生懸命に、決して腐ることなくベテランとしての姿勢を見せてくれた。そういう選手のもとに、ボールは転がっていくんだなと思いましたね(笑)。自分がゴールを決めたかのように嬉しかったですよ」
 ちなみに、前半42分のFWドラガン・ディミッチの先制弾をアシストしたのも酒井だった。


 スタンドからは7268人のサポーターがチームを後押しした。観客数では7月30日の松本山雅戦の8113人に次ぐ今シーズン2位だが、この時は2000人近い相手チームのサポーターが集結していた。空席だらけのカマタマーレ側のゴール裏を見ながら、唐井直GMが目を細めた。
「ゼルビアだけのサポーターの数で言えば、今日が一番ですよ。本当にありがたいことです」
 平均観客数も3500人に到達。堂々の数字を残した背景には、小田急電鉄を筆頭する約80社のスポンサー団体が今秋から実施してきた集客策の効果もあるが、何よりも唐井GMをして「目が肥えている」と言わしめる町田のサッカーファンを、伝統のパスサッカーが魅了してきた積み重ねがある。
 戸塚氏から昨シーズンの相馬直樹氏、そして今シーズンのランコ・ポポビッチ監督と指揮官が変わっても、重田氏がまいた種は太い幹に育ってピッチの中に息づいていた。


 そして、バックスタンドのフェンス沿いには、東京都社会人リーグ時代からFC町田ゼルビアでプレーし、志半ばでチームを去っていった選手たちの名前が横断幕で掲げられていた。
 津田は魂が震えるのを感じながら「彼らなしではJリーグに挑戦することもできなかった」と感謝の思いを胸に刻み、託された夢の重みを感じながらこれからも戦い抜くことを誓った。
 来シーズンからは星の思いも加わる。J1への復帰を決めたFC東京から監督就任のオファーを受け、1年間でチームを去るポポビッチ監督も然り。酒井は表情を引き締める。
酒井「来シーズンへ向けてもまたそういう(戦力外の)話が出てくると思うし、いろいろな思いを背負うことになるけど、僕としては町田のスタイルを貫きながらJで戦っていきたい」


 試合終了のホイッスルが鳴り響いた瞬間、センターサークル付近を攻め上がっていた酒井はその場にひざまずき、両方の拳を握り締めながら十数秒間、動くことができなかった。
酒井「すごく感慨深い気持ちになって。終わった瞬間は重田先生の顔を思い浮かべましたし、本当にいろいろなことを思い出した。みんなと話しているうちに涙がどんどん出てきて」
 星以外にもすでに6選手の退団が発表されている一方で、今シーズン限りでザスパを退団した元日本代表MF戸田和幸が地元でのプレーを希望。12月7日から3日間、トライアウトの形でFC町田ゼルビアの練習に参加した。チーム編成を司る唐井GMは「まだイエスともノーとも言えないけど、前向きにということで」と監督人事を含めてJ元年に挑戦するための陣容を急ピッチで整えている。


 東京都内にホームタウンを構える東京ヴェルディやFC東京と異なり、母体となる企業を持たず、今シーズンの予算は約2億5000万円、人件費は約9000万円といわゆる「身の丈」に合った経営を貫きながら、まさに手作りでFC町田ゼルビアはJの舞台にたどりついた。 
 重田氏の口癖は「地域に信頼されなければ夢は実現できない」だった。昨年からプロ契約を結んだ酒井が今もスクールでコーチを続けているのも、自身が重田氏から受け継いだ「町田のDNA」を未来のある子供たちへ伝えていきたいという思いが強くはたらいているからだろう。第3代目監督の守屋氏は、現在は代表として、そして育成統括部長としてチームの裾野を支えている。
 ホームでの試合後にピッチの上で開催している、来場した子供たちと直前まで試合をしていた選手たちによる「ふれあいサッカー」は、舞台をJ2に移しても継続していく方針だ。


 スクールで育った子供たちの中から、2009年に9人、昨年には12人がFC町田セルビアU‐13のセレクションに合格を果たしている。酒井はこんな夢を明かしてくれた。
酒井「スクールで最初に関わった子供たちが、中学生や高校生になるんです。だから、彼らにポジションを奪われて引退したいと。そういう選手はJで初になるんじゃないですか(笑)。ウチみたいな小さなチームでも、育成からいい選手がどんどん上がってくる時代が必ず来ますから」
 3年連続で計上中の赤字の解消を含めて、課題は山積している。それでも、全国的にもハイレベルにあるキッズ年代を底辺とするピラミッドの頂点で常に光り輝いてほしい、という町田市民の熱い思いは無限のエネルギーとなって、酒井をはじめとする愚直で一途な男たちを突き動かしていく。
 2012年でちょうど20年目を迎えるJリーグにおいても、稀有なバックボーンと崇高な理想、そしてロマンを感じさせるチーム。FC町田ゼルビアの終わりなきチャレンジは続いていく。


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2011年12月14日 09:53|記事URLコメント(0)トラックバック(0)

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