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松田直樹さんとともに。大敗で始まる松本山雅FCの第2章  by 藤江直人

松田直樹さんとともに。大敗で始まる松本山雅FCの第2章  by  藤江直人


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■天皇杯全日本サッカー選手権大会4回戦
横浜F・マリノス[J1] 4‐0(前半1‐0) 松本山雅FC[長野県代表]
[12月17日午後1時3分キックオフ@富山県総合運動公園陸上競技場/観衆1万120人]


 誰よりもサッカーを愛し、究極の負けず嫌いを自任していた松田直樹さんにインタビューした2年前の夏。無邪気な笑顔を浮かべた故人が、ここぞとばかりに胸を張った姿を思い出す。
「オレ、サッカーが大好きと言うヤツには絶対に負けたくないんですよ」
 おそらく今年の3月14日もそうだったのだろう。松田さんの34回目にして最後となってしまった誕生日。横浜F・マリノス時代の後輩で、JFLの松本山雅FCで約8年ぶりに同じユニホームに袖を通すことになったFW木島良輔と、松田さんは松本市内の焼肉店に繰り出した。
 店内に滞在すること実に5時間。食べることを忘れたかのようにサッカー談義が繰り広げられた挙げ句に、「最後はけんかになっちゃいました」と木島は懐かしそうに当時を振り返る。


 名門の帝京高校から1998年に横浜マリノス(当時)に加入した木島も、大分トリニータへ期限付き移籍した2002年9月を皮切りに、東京ヴェルディ、ロアッソ熊本、JFLの町田ゼルビアとチームを渡り歩き、その間、2度にわたって長期の浪人生活を余儀なくされている。
 サッカーへの熱い思いでは負けないものがあっただけに、紆余曲折の末にそろってたどり着いた松本山雅をいかにして強くするか。いかにしてJ2に参入させ、その先のJ1の舞台へと導くか。このテーマで盛り上がり、白熱し、最後は口論にまで発展してしまったことは容易に察しがつく。
 一夜明けた3月15日。松本山雅の大月弘士社長は、疲れ果てた木島から「ホントに勘弁してくださいって感じですよ」という嘆き節とともに松田さんとのやり取りを聞いたという。


 もちろん、木島も本心から言ったわけではない。親しみと畏敬の念を込めて、3学年上の松田さんを「マツ」と呼ぶ32歳はもっと熱く、何度でも意見をぶつけ合いたかったはずだ。
 しかし、練習中の松田さんが急性心筋梗塞で突然倒れ、意識が戻らないまま天国へ旅立ってしまった2011年8月4日を境に、願いは二度と叶わなくなってしまった。J2参入という至上命題に特別な感情も加わった今シーズンを顧みる木島の口調は、心なしか震えていた。
「サッカー人生というより、自分の人生においても一番の出来事だった。J2という目標があったから何とか頑張れたけど、心の中には辛いものがあった。ホントに苦しい1年だった。サッカーをしていても楽しくなかった。一緒に戦いたかったけど、それはもうできないので......」
 

 松田さんのために。悲壮感にも似た思いを背負いながら、J2参入への成績面での条件となるJFL4位以内を確定させたのは12月4日。くしくも松田さんの月命日でもあった。
 一方で長野県サッカー選手権を制し、6度目の挑戦を決めた天皇杯においては2回戦でJ2の横浜FC、3回戦ではJ1のアルビレックス新潟を連破。通算3度目の進出を果たした4回戦の舞台で待っていたのは、松田さんが昨シーズンまで16年間も在籍したマリノスだった。
「マツがずっと言っていた。マリノスとやりたい、練習試合でもいいから戦いたいと」
 ゲームキャプテンを務めた木島は、キックオフ前のアップ時から複雑な心境だったという。ピッチの外に前夜からの積雪が残る富山県総合運動公園陸上競技場の双方のゴール裏から、松田さんのトレードマークである背番号3がしるされた横断幕が否が応でもその視界に飛び込んできたからだ。


 序盤戦の主導権を握ったのは松本山雅だった。木島を筆頭に飽くなき闘争心と執拗なプレスを格上のマリノスにぶつけ、鋭い出足でセカンドボールをことごとく拾い続ける。
 前半11分には木島の弟のFW徹也が元日本代表DF中澤佑二を振り切り、強烈なシュートを見舞う。惜しくもGK飯倉大樹にセーブされたが、スタンドの6割以上をチームカラーのグリーンで染めたサポーターたちにベスト8進出への夢と期待を抱かせるのに十分な展開。松本山雅のイレブンは、間違いなく生前の松田さんがどんな状況下でも常に貫いてきたポリシーを伝授されていた。
 マリノスや日本代表で闘志あふれるプレーで魅せた松田さんは、こうも語っていた。
「相手にビビったり、相手に名前負けして試合に臨んだことは一度もないですね。アトランタ五輪でブラジルに勝った時もそうでしたけど、これは自分の誇りでもあるんです」


 もっとも、小細工なしの真っ向勝負をテーマにして選手たちを送り出した加藤善之監督は、時間の経過とともに少しずつマリノスに流れが傾いてきたことを感じていた。
「飯田、飯尾の両センターバックの背後のスペースをシンプルに狙われ続け、どうしても自陣で戦う時間が増えてしまった。相手のボランチに対してもう少し強くプレスをかけられたら流れも変わってきたかもしれないけど、そこはチームの総合力の差というか、一人ひとりの力の差も含めてまだまだ足りなかったところだと思う。できれば前半を0対0で折り返したかったんですけど」
 クリアが小さくなったところを18歳のFW小野裕二にペナルティーエリアの外からダイレクトで叩き込まれた前半28分を境に、松本山雅の選手たちは浮き足立ってしまう。


 東京ヴェルディから昨年8月に期限付き移籍し、今シーズンからは完全移籍を果たした26歳のDF飯田真輝は、JFLにおける戦いとの違いを何度も痛感したという。
「乱暴と言ったらおかしいんですけど、JFLではパスがちょっと雑な部分がある。今日はそこにパスを通してくるのか、というところにどんどんパスを通されました」
 前半途中からは最終ラインの前で守備に忙殺され続けたボランチの小松憲太は、松田さんから個人的に託された「最後」のメッセージを思い出さずにはいられなかったという。
 長野県塩尻市生まれの23歳。東海学園大学から加入して2年目のホープは、試合中はもちろん、後半12分に退いた後のベンチでもマリノスのボランチ小椋祥平を注視していた。


 忘れもしない7月30日。アウェーで午後4時から行われた町田ゼルビア戦で1対3と苦杯をなめた直後に、ちょっと行こうと松田さんから誘われた。チームと離れて向かった先は日産スタジアム。午後7時キックオフのマリノス対大宮アルディージャ戦を観戦するためだった。
 累積警告による出場停止でゼルビア戦を欠場した松田さんは、4月に受けた右腓骨筋腱脱臼の手術で全治4か月と診断され、リハビリを重ねていた小松に何度も語りかけたという。
「お前は小椋のプレーだけを見ていろ。小椋のようなボランチになるんだぞ」
 独特のタイトなマークからボールを奪うスタイルで、水戸ホーリーホック時代から「マムシの祥平」と命名された26歳は、2008年から加入したマリノスでも不可欠な存在となっていた。


 日の丸を背負った経験こそないが、マリノスでともにプレーしたがゆえに、松田さんは小椋の守備力の高さを誰よりも分かっていたのだろう。日産スタジアムのスタンドから凝視したお手本と今、同じピッチの上で対峙している。小松は何かに導かれた舞台のような気がしてならなかった。
「J2やJ1のチームに立て続けに勝つなんて、そうそうあることではない。その意味では、マツさんが勝たせてくれたのかなと。小椋さんの身近でプレーできたことはよかったし、ひとつひとつのプレーの質の違いを思い知らされもした。マツさんは『JFLのチームと戦って疲れたことがない』とよく言っていましたけど、その意味をやっと理解することができました」
 松本山雅ではボランチを務めることが多かった松田さんは、後輩たちの中でも特に小松を可愛がり、ことある度に「お前とダブルボランチを組みたい」と何度も語っていたという。


 1点を先制された後もぎりぎりで踏みこらえていた松本山雅だったが、後半28分に再び小野にゴールネットを揺らされた瞬間に、緊張の糸が切れてしまったのだろう。
 加藤監督をして「我慢しきれなくなって、一人ひとりが自分勝手にプレーしはじめてしまった」と言わしめたその後の展開は文字通りの自滅。2分後には小野にハットトリックを達成され、終了間際にも小野のアシストからMF中村俊輔にダメ押しの4点目を叩き込まれた。
 左足がつり、それでも一矢を報いようと奮闘した木島は後半37分にベンチに退いている。
「個人的にはいきたかったけど、フレッシュな選手が入った方がチームのためだから。悔しさよりも情けないし、みっともない。勝てないにしても、あれだけの大勢のサポーターに来てよかったと思わせないと。何も残らないゲーム。1点を先に取れなかった前線の選手の責任もである」


 昨シーズンのJFLで7位に終わった松本山雅は、J2参入を至上命題として掲げながら今シーズンに臨んだ。松田さんや木島らのJリーグ経験者を含めて総勢12人を補強。シーズン前の下馬評では戦力面で最も充実していると目されていたが、開幕ダッシュに失敗してしまう。
 18チーム中で12位まで順位を下げていた6月6日には吉澤英生前監督が解任され、2009年からGMを務めていた加藤氏を昇格させる荒療治が施された。しかし、ようやくチーム状態が上向いてきた時に、精神的支柱でもあった松田さんとの永遠の別れが訪れる。
 いつもとは異なるメンタルでの戦いを強いられた長いシーズンは、終盤戦における怒涛の5連勝を経て、夢の第一歩を成就した直後の後味の悪い大敗で幕を閉じた。もっとも、生前の松田さんが掲げたのテーマのひとつにこんな言葉がある。いわく「失敗した時こそ上を向け」と。


 今年1月30日に開催された新体制発表会でのひとコマを、大月社長は鮮明に覚えている。会場となった松本市民術館には1000人を超えるサポーターが詰めかけ、チームカラーのマフラーをかざし、白星を挙げた後に歌う『勝利の街』の大合唱でチームを迎えた。
 その光景に感銘した松田さんは涙ぐみながら、大月社長に熱い思いを打ち明けたという。
「このチームに来て本当によかったと、松本山雅を必ず全国区のチームにしてみせるから任せてくださいと言っていましたね。やるからにはJ1ですよ。J2じゃない、だから社長、クラブとしても絶対に後押ししてくださいとも。今は喜んでいると同時に、J2参入で浮かれているんじゃない、まだ何も達成していないんだぞと言っているかもしれませんね」


 J2を舞台に移した新たな戦いは来年3月に幕を開ける。Jクラブの指揮を執るのに必要なS級ライセンスを取得していない関係で、加藤監督は来シーズンから本来のGMに復帰する。
 新監督の人選や新戦力の補強、育成組織の整備を含めて、チームは一歩ずつ車輪を前へ進めていかなければならない。背番号3を永久欠番としたマリノスとは対照的に当面は空き番としたのも、3番を背負うにふさわしい人材が育成組織から輩出された時に託そうと決めたからだ。大月社長と松田さんとの約束でもある、松本山雅FCというクラブが確実に成長した証と言えるからだ。
 松田さんのために、という重い十字架にも似た使命感からは、J2参入決定とともに解き放たれたのではないか。これからは、J1昇格を夢見ていた松田さんの遺志とともに。誰よりもサッカーを愛し、誰よりもサッカーを楽しんだ松田さんこそが、はつらつとプレーする仲間たちの姿を望んでいる。
 

 表現こそややぶっきらぼうながら、木島はすでに気持ちを切り替えている。
「はっきり言ってマツに関わっていない選手たちも来年入ってくるし、そうなるとマツのためにという思いは、来年にはない。それは来年残る選手たちが個人的に抱いていればいい。オレはもう来年のことしか考えていない。来年1年が勝負。いい準備をしてJ2に臨みたい」
 あらゆる面でJ1の優勝経験チームとの実力の差を思い知らされ、木島や小松をはじめとする誰もが捲土重来の思いを強くさせられた2011年シーズンの最終戦。対戦相手がマリノスであり、現状におけるベストのメンバーで、持てる力のすべてをぶつけて松本山雅を一蹴したことは、陳腐な表現になるが、どうしても松田さんに導かれた90分間だったような気がしてならない。


 試合後のこと。自軍のサポーターに挨拶したマリノスの選手たちが松本山雅のサポーターが陣取る反対側のゴール裏に向かい、一列になって深々と頭を下げて敬意を表した。異例とも言えるシーンに、メーンスタンドでは思わず涙ぐんだ松本山雅サポーターもいたほどだ。
『暑き日の 急ぎし君を 忘れじと 支えし人の 愛なお深し』
 5日のJリーグアウォーズで功労選手賞を贈られた松田さんに代わって出席した、姉の真紀さんに託された母親の正恵さんによる一句を思い出し、あらためて大き過ぎる存在感を偲んだ。
 あまりにも早く、あまりにも突然の別離から4月半。数え切れないほどの軌跡が刻まれた松本山雅とマリノスの初対決が、サッカー人生を全力で突っ走った故人が最後の夢を託した前者の新たなスタートとなる。天国で見守る松田さんが何よりもそれを望み、そして古巣に感謝しているに違いない。


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2011年12月19日 15:42|記事URLコメント(0)トラックバック(0)

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